オーストラリア人のミッキー先生にお願いした事は二つだけ。
目を見て、名前を呼んでその子に
話しかけて下さい。
どんな事があっても、日本語を
話さないで下さい。
その頃の二人の英語力は、託児で外人の先生が工作してくれるレッスンに通っている程度。ほとんどゼロに等しい状態です。でも、まだまだ急がなくて良い。三年生と一年生。
全く何を言ってるか分からない人と、
二人きりで30分過ごしても、
別に何とかなるし、
何なら仲良しになれる。
と言う成功体験が目的でした。ある意味、英語以前の問題かも知れません。
英語は、どちらかの両親がネイティブなど、で、産まれていない限り、分からない事は一生付きまといます。英語力を付けて行く上で大切な事は、知っている単語を拾って、そこから知らない単語や内容を予測する、
推測力
みたいなものかも知れません。また、分からなくても平気、と言う鈍感力。と言うか、分からないのが当たり前、と言う感覚。これは、恥ずかしい、とか、そう言う気持ちの出始める五年生くらいまでの間に、図々しくしてあげておく、と良いのかも知れません。
小さい頃から始めて、少しずつ入れて行くのは、こんな、英語脳の基礎みたいな物で、それは、子供の時に始めたからこそ、遊びながら身につくかも知れない、、と、思ったのでした。
ミッキー先生は、毎週30分、二人別々に相手をしてくれます。カードゲーム、ボードゲーム、折り紙だったり、歌を歌ったり、特に英語を教える、感覚ではなく、
とにかく英語で一緒に遊んでもらう。そして、何か先生が一生懸命話してくれている、と言うアツ。
最初は緊張していた二人も、ドア閉めて、とか、えんぴつ取っておいで、とか、そんな指示後は理解する様になり、ある日、息子が、
ママ、ミッキー先生に、今日は夕飯はカレーって言いたいんだけど、なんて言うの?
と聞いて来ました。先生との関係性が、言葉の壁を乗り越えた瞬間です。そう、先生に伝えたい事がある、大好きな先生に、僕は今日、夕飯カレーなんだよっ、て言いたいっ❗️
おー、来たか❗️
と思ったのを覚えています。私は短いフレーズを伝え、彼は一生懸命、まま、オウム返しに話しました。ミッキー先生は、
あら、カレーなの、私も大好き、良いなぁ💕
と、リアクションしてくれて、彼は初めて、話したいことが通じた達成感を得た顔をしていました。
英語を学ぶ時。
一番、大切なのは、話したい事がある事。
その人に伝えるには、英語を話すしかない状況を作ってあげる事。
なのかも知れません。高校、大学受験科目に英語が無ければ、実は、英語なんて、勉強しなくても良いのかも知れませんよね。極論ですが。使うアテのない言語の習得なんて、苦痛そのものです、、、少なくとも私にとっては。
例えば、古代ギリシャ語、いや、習わなくて良い