亡くなった義理の兄、お兄ちゃんのことを思い出している週間。
私達がボストンに住んでた際、アメリカ出張に来たので、確か、ヒューストンだっかなぁ。。帰りに二泊くらい来てくれました。折角来たから、あれも、これも、観光もして、と、待ち受けていたら、激務の出張終わりに体調を崩しての到着。一言目が、
お腹痛い、寝かせて
でした。一人で気が張って頑張った挙句、私達に会ったら一気にやられてしまったのでしょう。1週間、アメリカ食だったそう。。
お兄ちゃん〜、途中で和食か、せめて中華入れないとお腹壊すんだって〜。。
じゃあ、ここで、はなちゃんの日本食が良いっ
そーなるよな。折角、ボストンだから、私達もお金を貯めてお兄ちゃんとはロブスターを食べに行くつもりで楽しみにしてたのにっ。
→当時。極貧で、外食でロブスターなんて食べられませんでしたっ。
買い物もしてなかったから、日本から一体どうやって持ち込んだのか忘れたケド、ヌカ床を持ってたので急いで人参とアメリカのウリみたいなキュウリのぬか漬け、インスタントお味噌汁と白いご飯、後はのりとか梅干し、の夕飯になりました。
あー、やっと食欲が湧いたよ。
元々、胃腸が弱目だったお兄ちゃん、アメリカ食で一気にやられたのね〜。それから死んだ様に一日中寝てました。折角来たのにさ〜。
寝てるお兄ちゃんの荷物を漁ります。洗濯物が山ほど。全部洗って、ワイシャツにはアイロンをしました。
あ、ありがとう、洗濯物、でもさ、これはノンアイロンのワイシャツだから、アイロンしなくて良かったんだよ。
当時のノンアイロンシャツ、、、、
全然アイロン必要だった
お兄ちゃん、こんなしわくちゃで
普段、着てんのかよっ
って思ったの覚えています。
やっと元気になったお兄ちゃんとのボストン時間は本当に僅かで、旦那さんの大学構内を案内するくらいしか時間がありませんでした。校内で、一番絵になるスポットで兄弟の写真を撮ります。並んでも、大人同士でよそよそしい。
兄弟なんだからさっ、肩くみなよ、肩
えーっ。
でも渋々と、二人で肩を組みます。そしてなんか和んだ良い表情。何枚か撮りました。
それが旦那さんにとって、お兄ちゃんと二人だけで一緒に撮った最後の写真となり、また、大人になってから兄弟で肩を組んでる写真なんて無いから、お兄ちゃんが亡くなった後、お宝写真となりました。
はなちゃん、よくぞ、肩を組ませてくれたわよね、本当にでかしたっ❗️
お母さんは、この写真を殊更気に入り、
絵にもして貰ってました。
旦那さんの書斎にも飾ってあります。
体調が良かったら、、遠出をして遊びまくり、のんびり写真なんて撮る暇、無かったかも知れない。お兄ちゃんが体調ボロボロでボストン到着したから、思い出深い旦那さんの留学先でお兄ちゃんと肩を組んだ写真が残った。
色んな事って後で、そうなるべきだったって事もあるのかも知れません。ロブスター代も浮いたし
ちなみに、、、お兄ちゃんが来たら食べに行こう、と、言っていたお店には最後まで行くチャンスは無く、いつか家族でボストンに行く時には絶対行ってみたいレストランです。
https://blog.looktour.net/anthony-pier-4/
三人で食べた超ショボい日本食、でも、お兄ちゃんは、美味しい、美味しいって、お腹痛いって言ってたのに沢山食べてくれたのも、思い出して来ました。
にしても、ヌカ床は、私の母親に持たされたんだよな、一体、、どうやって持ち込めたのかなぁ。。相当、入関がユルかったとしか思えない、、、ローガン空港。。嫌な言い方になってしまいますが、911のテロリスト達を旅立たせてしまった空港ですよね、、、
話は逸れますが、911の10年後くらいに、その日のローガン空港署長だった女性の方の手記が、ボストングローブって言う地元紙に、ドーンっと、一面に載ったのを読んで涙が止まらなかったです。当たり前だけど、あのテロは、戦争並みの殺戮であり、また、果てしなく、アメリカ人の方々の心を傷付けましたね、そして、未だに、やはり、テロリストと同じ人種の方々への差別は続いているのでは無いでしょうか。。
空港のチェックインで靴脱ぐってのが
世界標準になったり、ね〜
お兄ちゃん、相変わらず、
話が飛んでますっ、私