瀬戸内寂聴さんが亡くなられました。


私は、中学、高校と京都の左京区と言う地域にいました。寂聴さんのお寺は右京区、京都市の逆側、嵐山付近。自転車で30分も走れば着くのかなぁ。




寂聴さんは、あの様な有名な方にも関わらず、月に一度くらいの頻度でそこの住居謙お寺のお堂で直接説法をされていた、と私は記憶しています。それを知ったのは、私が遥か大人になった頃、だから、私が中高生だった頃には、、もっともっと、身近な感じで、救いを求めて訪ねる方々をそのお寺で気軽に迎えていたんじゃないか、もちろん、説法も、拝聴出来る機会があったんじゃないかな、なんて。


一度、思春期真っ盛りの中高生の時に一度でも何か関わる事があったのならば、人生変わっていたのかも


と、思うくらい、女性として憧れの方でした。


何がって? 寂聴さんは、テレビなどでしか私は存じ上げないけど、女性として、とにかく、素直で率直。


そして、女として産まれたと言う、枠に囚われずに、しなやかに、時に、頑なに、謳歌し続けようとした姿勢に、私はとにかく畏敬の念を抱いていました。


出家にも私は興味が常にあるから、と言うのもあるのかも知れません。もちろん、とてもとても果てしない夢ではありますが。。。

→不思議系、トップギア入ってますね、失礼っ爆笑


EXILEのアツシさんと対談された際。


貴方は、サングラスの上から、額までの所が、とてもセクシーね。




と、冒頭で言ってらした。わー、本当だ、そこが彼は良いっ。ご本人もそれを分かってサングラスされてるのか、とにかく、寂聴さんの


女性として異性に向ける瑞々しい心の目


を垣間見た気がして、心底感動しました。出家されて、かなりのお年であった当時、僧侶、日本人女性と言う社会的な概念に縛られないで、心の中では、自由に生きてらっしゃるのだなぁ、と、勝手に想像しました。


また、ある時、出家をされた際の話をテレビで見たことがあります。儀式をするのですが、驚くほど簡単、お香を焚いて、説法らしき話を聞く、


これで貴方は出家したわよ


寂聴さんは尋ねます。何か、教えはありませんか。その方は、


一人を慎みなさい


とだけ仰ったそう。私は、仏教を語るには若輩者過ぎるので、これ以上書けませんが、その言葉は、寂聴さんをテレビでもお見かけする度に、思い出され、


一人を愉しむ


と言う私の自分勝手な解釈も加わり、更に、寂聴さんが、事あるごとに、良く言われていた


人間は、結局、独りなんですよ


と言う概念に繋がって、私の心の師匠となって行きました。


そう、人は結局、独り。そこから始まって、終わるのよね、全てはね。


ちょっと話は飛びますが、哲学とは何か、と言う命題に、私が一番腑に落ちた回答は、


その人、その人が持っている人生の悩みに答えをくれるもの


と言う、一見❓と言うものなのですが、

寂聴さんは、


その哲学が分かりやすい言葉を発する「人」となってこの世に現れて、


一人一人の違う悩みに向き合い、具体的に答えていらした方なんじゃないか、とさえ思うのです。


さーせん、ちょーっと、訳、わかりませんねキョロキョロ


その彼女を失った今、この世の中は、

とてつもなく、私には不安です。

それほどに、偉人でいらした、

としか言えません。


一方で、これから寂聴さんへの想いを語る、綴る、凄い方々が出て来るでしょう。改めてそうなるのは、やはり亡くなられたから。意外な方も、語られたりするだろうし、その語られる一つ一つが、寂聴さんの存在の凄さを改めて実感させてくれる凄いものだろう、と予測します。なので、亡くなられたけれども、それは、私は、不謹慎に聞こえるかも知れませんが、とても楽しみです。そして、そうやって寂聴さんを偲ぶ、語りべの方達が、寂聴さんが、もう、この世にはいない、と言う、とてつもない大きな穴を埋めてくれるのかも知れません。


心からご冥福をお祈りします。


ここまで人の心に届く言葉を語り、綴り続けられた文壇の方がいたでしょうか? 大往生の日は、誰にでも訪れますが、亡くなられた後でさえも、新たに人々への救いを残せる人は、稀有でしょう。


こんな方が、一時でも、自転車で30分の距離にいらしたんだよね、中高生の時に。同じ京都の空気を吸っていたこと、凄い幸せな事です。


と、共に、、、キョロキョロキョロキョロ、一度で良いから、大人になってからではなくて、、、あの時、私が中高生で自転車で30分の距離にいた時、寂聴さんにお会いしたかった。


タイムマシーンってのは、こう言う時に、マジ、欲しいなぁって思います。