今朝、家事しながら聴いていて、手が止まり、スマホで歌詞を見て、一気に涙が溢れて来た。
この歌、昨年の夏に急逝した義理の母の事だ。
私にとっては。
便秘かしらって大きな病院に行って、スキャンしたら腹水だった。
余命2ヶ月の末期癌。
お母さんは子供達、孫達にお別れの話をさせて欲しいと言って来た。最後にお別れを言ってから逝きたい、と。父と私達は悩んだ挙げ句に、それを許さなかった。子供達、特にまだ五年生の娘に大好きなおばあちゃんは死んで行くのよ、と、話したら、恐らく、おばあちゃんから離れなくなり、泣き暮らす。たまたま話せた専門家も、それは、大人が→母が、我慢するべき、と。そう、不安な気持ちで子供達を過ごさせてはいけない、もっと悲しいことが待ってるのだから。
でも、自分の言葉でお別れを言いたかった気持ちは痛いほど分かる。それが、美しい言葉で昇華されて謳われていたのが、
アポトーシス
繰り返される新細胞再生を助ける役目を担い、予め、死滅するようにプログラムされている細胞の名前。
歌詞は、如何様にも聴けるけど、生物の死滅と誕生の連鎖のメタファー、人生の儚さや、最期が来た時に、人は何を語りたいのか、周りがそれを知った時の気持ち、そして、
ただ、生きていることへの賛歌
として、私には響いた。
一つ一つのフレーズが、お母さんが私達、孫達に語りたかったであろう言葉に聞こえて、しばらく何も手に付かなかった。。。
語らせてあげたら良かったのだろうか。彼女の人生の終世句を。それを受け止める子達がどんなに動揺しても、それは私が母親として引き受ければ良かったのだろうか。そんな気持ちがぐるぐる回ったけど、今は、想うことしか叶わない。
丁度、八月に一周忌を済ませたばかり、法事は慌ただしいばかりだったから、しばし今日はお母さんのことを思い出しては、泣いて、ぼんやりしてしまった。
私の一周忌だったのかも。
無性に、お父さんと話したくなって電話したけど出なかった。暇なくせに〜😡ってちょっとイラッとしました。。
長くなりますが、以下、歌詞を引用します。
アポトーシス
Official髭男dism
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
こんな話をそろそろ
しなくちゃならないほど素敵になったね
恐るるに足る将来に
あんまりひどく怯えないでダーリン
そう言った私の方こそ
怖くてたまらないけど
さよならはいつしか 確実に近づく
落ち葉も空と向き合う蝉も
私達と同じ世界を同じ様に生きたの
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
なるべく遠くへ行こうと 私達は焦る
似た者同士の街の中 空っぽ同士の胸で今
鼓動を強めて未来へとひた走る
別れの時など 目の端にも映らないように
そう言い聞かすように
いつの間にやらどこかが
絶えず痛み出しうんざりしてしまうね
ロウソクの増えたケーキも
食べ切れる量は減り続けるし
吹き消した後で包まれた
この幸せがいつか終わってしまうなんて
あんまりだって誰彼に
泣き縋りそうになるけど
さよならはいつしか 確実に近づく
校舎も駅も古びれてゆく
私達も同じことだって
ちゃんと分かっちゃいるよ
今宵も明かりのないリビングで
思い出と不意に出くわしやるせなさを背負い
水を飲み干しシンクに グラスが横たわる
空っぽ同士の胸の中 眠れぬ同士の部屋で今
水滴の付いた命が今日を終える
解説もないまま
次のページをめくる世界に戸惑いながら
今宵も鐘が鳴る方角は
お祭りの後みたいに鎮まり返ってる
焦りを薄め合うように 私達は祈る
似た者同士の街の中 空っぽ同士の腕で今
躊躇いひとつもなくあなたを抱き寄せる
別れの時まで ひと時だって
愛しそびれないように
そう言い聞かすように
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
もう朝になるね
やっと少しだけ眠れそうだよ