下の子、娘が幼稚園に入る直前、一人の時間がとうとうやって来る、待ち望んでいたはずなのに、ザワザワして来た。年長になろうとしているお兄ちゃんに、愚痴をこぼす。

ママさ、もうお昼ご飯とか一人なんだよね、二人とも幼稚園行っちゃうの、寂しくなって来た、どうしよう。

あれだけ、この日まで、と思っていたけど、とにかく、とてつもなく寂しくなり始めた。息子は、まだ五歳。でも、少ない語彙で励ましてくれた。

ママと〇〇ちゃん←息子、と△△ちゃん←娘、はさ、透明の紐で繋がってるから、幼稚園に行っても。ずっと繋がってるの、一日中。で、その紐の中には、大好き、大好きってずーっと書いてあって、夜になると中が光るの。で、その紐は、強いハサミでも、車が横切っても、どんなことがあっても絶対に切れない。

彼は、「絆」と言う概念を、その歳なりの語彙で伝えてくれているのだと気が付いて、正直驚いた。

そうなんだ。それって幼稚園で本か何かで読んで貰った話?

ううん、〇〇ちゃん←息子が、自分で考えたんだよ。だから、ママ、寂しくならないよ、透明の紐があるから。

そーなんだ。

その「透明の紐」は、子供達が大きくなってからも、しばらく使われていた。友達と気まずくなり、学校に行きたくない時。サッカーで上手い子に煽られて行くのがしんどい時。先生と合わなくて、その先生の顔も見たくない、けど、学校に行かなくてはいけない、と、分かっている朝。

ママと透明の紐じゃん? 

と言うと、うん、と振り絞って言いながら、玄関を出て行く姿を何度も見守った。息子は、自分から考え出して作った話をとうに忘れて、時々、何だっけ、その透明の紐って、と言うまで大きくなった。

絆は目に見えない。そして、どんなに豊かな表現で言語化しても、感じ得ない。大人になってから、誰かともしかして、と感じても、とてもとても、危うい。お互いが信じてこそ存在するもの。

でも、本当の絆は、かつての五歳の息子が言ったように、どんなことがあっても切れない。そして、血縁、性別、年齢、人種を超えるものかも。人間同士ならば。いや、人間と動物でもあり得るのか。誰かと、深く絆を感じた時、承認欲求が満タンに満たされる、と言う事なのかのかも知れない。

きっかけは何だって良い。更に、社会的な関係なんて、超えている。透明な紐なんだから。

大人になってから、誰かと「絆」を感じられる事が出来たのならば、それは凄く幸せなこと。