
「延命措置をして六ヶ月、ただ、この病院は、末期癌の〇〇歳以上の方は積極的な治療をしない方針なので、治療を希望される場合は、紹介状を出しますから言って下さい。」
突然の死刑宣告と変わらない。検査結果を聞くつもりで行ったから、付き添いは、義理の姉で、お父さんも主人も側に居なかった。泣きながら電話して来た義姉に、とにかく運転、気を付けて、何なら、タクシーで帰って、車の回収はこちらで何とかするから、としか言えなかった。彼女は、気を取り直して、美味しランチに連れて行ってくれて、「一人の先生の事なんて信じられないから、また、違う病院に行こう!」と、気分転換させてくれて、家まで送ってくれた。
お墓参りの帰り、おじいちゃんと、あの頃の慌ただしさを振り返る。宣告から二ヶ月あったけど、とてもゆっくり最後の時間なんて無かった。生き延びる可能性を探る、諦める、ホスピスを選ぶ。ホスピスに入った日の食事をお母さんは全部食べた。痛みから解放されて気分が良いと言う。これでやっとゆっくりお別れの時間が出来た、けどコロナだから、面会は一日、三人、30分。ウチから往復三時間はかかる。結局、私は一度だけ会えて、ほとんどは事務的な話で終わった。で、主治医さんと、モルヒネを増やしましょう、でも、まだまだ意識はあるでしょう、と、言われた2日後に亡くなった。痛みがお母さんを生かしていた。モルヒネを増やして痛みが完全に無くなった途端、深い眠りに入りそのまま亡くなった。猛暑の中での葬儀。手続き。季節はあっという間に過ぎたよね。。
おじいちゃんは、静かに話す。
最近やっと〇〇→お母さん、のこと、思い出して、偲べる様になったよ。
私もです。何より、おじいちゃんが続いて、次に行くと思ってましたよ。凄いやつれ方だったし、私、覚悟してましたよ。
おじいちゃんは、一人暮らしになってから、自炊を覚え、テニスを続け、畑で野菜を作り、最近はお花にハマり、カメラで撮りまくっている。テレビにAmazonスティックを付けてあげたら、映画にハマって昨晩は夜更かししたんだよ〜、と、笑った。
お父さんの生きる力、凄いですね。今までの経験とご自身の知性が、リカバるのを助けたのかな、マジで感心です。もう、後10年は行けますね。子供達がどんな人、連れて来るか見届けて下さいね。
そうだね〜、結婚式は面倒臭いから行かないけどね。
次は新盆だ。
いや、それまでに、また、子供も一緒にお彼岸がありますよ。あの時は、慌ただしくて、偲べなかったら、今日もそうだし、小出しにゆっくり偲びましょう。新盆は、コロナで呼べなかった親戚も呼んで、大きくやりたいですね。
そうだね。
静かになったから、バックミラーを見ると、ウトウト気持ち良さそうに寝ていた。余裕が無くてあまり出来なかったけど、今年はもっとお墓参りに連れて行ってあげようと思った。