林檎頭のブログ -14ページ目

ビリーって日本に住んでるんですね

テレビを通して共有していた時代感が薄れてゆくと、それぞれが所属しているコミュニティ以外に興味を持たない人が多くなるんじゃないかと考えるようになりました。テレビが無かった時代は世界中階級だらけでしたから、このまま行くと新しい階層が固定するんじゃなかろうかと。ヨドバシカメラ階級(カースト)とか、ディズニーランド階級(カースト)とか、自称クリエーティブ階級(カースト)とか。 no3

捨てる神あれば拾う神あり。

部屋のものを、どかどか捨てている。
不思議なもので、捨てだすといらないものがまた増える。
片付けるつもりで捨て始めると、余計に部屋が散らかる。

北海道の人は「捨てる」を「投げる」という。
「昨日、部屋のいらないものをどかどか投げた」といえば、
何だかすっきりした気分になれそうでちょっとうらやましい。
でも、「姨捨山」は「姨投げ山」になり「幼児捨て去り事件」は
「幼児投げ去り事件」となり、ちょっと乱暴な感じがする。
別れ際の最後の言葉は「俺を投げないでくれ、幸子~」になる。
きっと北海道の人は、その昔、野山を切り開いて生活空間を広げていったので、
切り倒した木や掘り起こした岩をその辺に捨てると言っても
捨てたことにならず、遠くの方までどかどか投げることが
捨てることだったのかな、などと考えてみたりする。

捨てる神あれば拾う神あり。
何か大切なもの捨てれば、都合良く新しい良いもの拾えるという言葉だと思っていたが、
実は違うらしく、見捨ててしまう神様もいれば、あなたのこと
きっと気にかけてくれる神様もいるのだよ、という意味らしい。
日本は多神教の国であり、インドの影響を受けたアジアなんだなと
ふと思った。神様が大勢いてくれてちょっとうれしい。
でも、部屋のいらないもの捨てたからと言って、
お金を拾えるわけではないことがわかり、ちょっと残念でもある。

誰か僕を拾って下さい、ああ神様。

初投稿 no2


逃避行

逃避行 
作詞 林檎頭 作曲 林檎頭

人身事故で小一時間
閉じ込められた半蔵門線で
最後の別れを告げました

ふつうの幸せ欲しいなんて
昭和じゃないのよ 今の世は

涙をこらえて 
初めて降りた三軒茶屋
三叉路のお不動さん教えて下さい
どちらに歩けば幸せはやってくるのでしょうか

平成の街にネオンはなくなりました 
この夜はすべて蛍光灯
大きなTUTAYAの看板が
私の涙を冷たい青色で染める

ああ三茶の三叉路
逃避行の道しるべ

no3