週末に葬儀が終わりました。今日久しぶりに私は自宅に帰りました。

通夜には聞きつけた近所の方も見えました。

町内会には知らせなかったのに、どこからか聞いたのか何人か来てくださいました。

母のエンディングノートには、「家族葬」とありました。

母の思う家族葬は、母の妹たち、私たち家族だけだったのだと思います。あと、ノートにあった友人数人のみ。

ですが、実際には数多くの方が見えました。

母は20年以上地元の病院の受付をしていました。

黄疸が出ても、「私にしかわからない仕事もあるから」と言って働いていました。

母は67歳、仕事は昔から好きで、70歳まで続けたいと話していました。

突然辞めることになり、本当に辛かったと思います。

先月突然目が見えないと話し、どうしても行くと言って、勤めていた病院に行きました。

それが最後になってしまいましたが、母にとって思い出の詰まった病院に行くことができてよかったのだと思います。

話は戻りますが、地元の病院に勤めていた母は、とても顔が広かったんです。

なので、私は家族葬ではなく、母にたくさんの人が別れを伝えられて良かった気がします。

週末は、母のことをいろいろと話しました。

膵臓癌がわかって、やはり手術をするべきだったんじゃないかと。。

母は当初、他の病院のセカンドオピニオンも予約していました。

地元の病院から二通の紹介状を持っていました。

どちらも癌拠点病院です。

受診した日は体調も悪く、待ち時間も待っていられませんでした。

痛みもありそれをみた先生が、「痛みのコントロールもしましょうか」と話し、その病院に翌日入院し、放射線治療、抗がん剤をしました。

結局術前治療後に転移も見つかり、オペはできませんでした。

もしもあの時、翌日に入院しないでもう1つの病院に行って手術をしていたら…と考えることもあります。

膵臓癌がわかる前、母はずっと胃腸の調子が悪いと言い、そう言いながらも旅行に行っていました。

過去のラインを見返しましたが、私は数え切れないくらい、病院に行くように伝えていました。

背中が痛いのも、もしかしたら膵臓が悪いのかもしれないからと言っていました。

それでも母は、旅行に行く約束や仕事を優先して、病院になかなか行きませんでした。

もしもあの時病院にすぐに行っていたら、膵臓癌がわかって、痛みも強くなる前に、もう1つの病院にセカンドオピニオンに行けたかもしれない。

完全に「たられば」です。

母の治療した病院で言われたのは、術前化学療法で転移した場合、膵臓癌が判明して手術をすぐにしていても、恐らく短い期間に転移するだろうという話でした。

なので、母は手術を受けていても、恐らく転移はしていたかもしれません。

それに、化学療法は受けていたと思います。

手術がやっと終わって落ち着いても、化学療法は続くだろうし、その間「転移は大丈夫だろうか」と不安と戦い続けていたと思います。

膵臓癌は他の癌とは全く違うと思います。

母はあっという間に亡くなってしまいましたが、考え方を変えれば、苦しかった期間は短く済んだのかな…そう思うことにしています。

「たられば」を考えても仕方のないこと。

私自身を責めても、きっと母は喜ばないと思うから。

母の死を受け止め、私自身が母の自慢の娘でありたいと思います。

さて、明日からは私の娘も保育園は再開。

私はしばらく日中は実家に通い、いろんな手続きを少しずつしていきます。

母の姿は見えないけど、いつでもそばにいてくれている気がします。

私の手紙、届いたかな。

明日からまた違う忙しさがやってきます。

頑張ります。