今日も一日終わりました。
母はというと、やはり1日1日全体的に落ちてきています。
言葉はほとんど発しませんでした。
1日ほとんど寝ていました。
寝る前にアンペック座薬を入れて、点滴をして寝ています。
点滴を使わなくても寝るんじゃないかなとみんなで迷いましたが、足を立てたり手をあげたりすることがあるので、何か不快なことがあって眠れないのかも?と思い、点滴しました。
寝る前にお茶を飲ませたのですが、大きくむせてしまい、苦しそうでした。。
「ひぃぃ!」と苦しそうな声を出したので本当に苦しかったんだと思います。
ごめんね。。
吸い飲みを口に運ぶと飲みたいようで飲もうとします。でも、空気も一緒に飲んでしまうので苦しいようです。。
反射だけで飲み込んでいるような感じがしました。
そろそろ経口摂取は厳しいのかなと思いました。。
今日母のことで思い出したことをまた書きます。
母は7/17に抗がん剤をし、7/18に脳梗塞を起こしました。
7/20のCTで脳の腫脹がなかったので7/21に退院しました。
退院日はもともと自宅に自分の妹と弟が来る予定でした。
普通なら退院日に来客なんて、とりあえず延期にすると思うんです。
でも母はどうしても呼びたいと言いました。
来週にしなよとも言いましたが、曲げませんでした。
結局午前中に退院し、昼頃に妹と弟が来ました。
脳梗塞の後遺症もあり、ちょっと会話が変な時もありましたが、いろいろと話しました。
私も週末実家にいました。
母としては、私の主人を自慢の婿だと紹介したかったそうです。
自分の息子のようにいつも接してくれたもんね。
ありがとう。
「◯◯くんのことをみんなに会わせたいのよ。紹介したいの」って言ってたね。
玄関で見送る時はみんな帰った後だったのに、目が見えない母は「今日はありがとう。うん、じゃあまたね。気をつけて」と、誰もいない玄関に話していました。
「もう帰ってるよ」と私が言って、そのままベッドまで戻りました。
母なりに精一杯気張ったんだと思います。
翌週、7/24には脳梗塞、脳出血をさらに起こしたのでこの日を逃したら、きっと妹弟たちと話すことはできなかったと思います。
7/23は以前にブログで書きましたが、母としっかり会話ができた最後の日になりました。
私の娘にお祝いを渡しておかないととずっと話していた日です。
これもきっと、次の日にはできなかったことだったと思います。
実はこの日、母は電話をしたいといい、近所の友人が来てくれました。
「私もうダメだと思う」と話していたみたいで、驚いたその友人が自転車ですぐに来てくれました。
ずっとそばで旅行の思い出話をしていました。
あの日、電話で呼ばなかったらきっと話すことはできなかったと思います。
母なりに何かが起こる、最期が近いことを感じ取っていたのではないかと思いました。