日本初の女性医師となった荻野吟子

その生誕地熊谷市妻沼にある記念館を訪れました

 

 

群馬県との境である利根川がすぐ裏を流れています

 

 

生家はもうありません

生家の長屋門の1.5倍の大きさに建てられた記念館です

 

 

その長屋門は利根川を挟んだ対岸の群馬県の光恩寺に移築されています

その長屋門です

 

 

記念館内部の様子です

 

 

 

男子に混じっての勉学なので男装していたそうで、お洒落っ気は全くなかったそうで、唯一

鹿鳴館スタイルのお洒落な吟子女史です

 

 

江戸時代末期の1851年に豪農の5女として生まれ、小さい頃から聡明で、女子の勉学に理解などなかったその頃でも寺子屋で学んでいたそうです

ちなみに、渋沢栄一は1840年生まれ、塙保己一は1821年生まれです

 

 

17歳で結婚、そして離婚。女子の病気になり、治療をするも、男性の医師の診察に羞恥と屈辱を感じ、女性医師になろうと思い始めたそうです

 

 

前例がないと言われ、勉学の許可が下りなかったのですが、埼玉県の偉人の一人塙保己一の尽力のおかげで、平安時代に一人の女医がいたという書物が見つかり、晴れて医学の道に進めるようになったのだそうです

 

 

素晴らしい学問の師、協力してくれる仲間、人と人の出会いと繋がりがどんなに大事かと感じました

 

 

医師資格を取った後、キリスト教信者となって出会った年下の青年と2度目の結婚

女性社会運動に励み、廃娼運動、女子の勉学の門戸を開くなどの活動を熱心に行いました

 

 

57歳で向島に医院を開業しましたが、夫の夢である北海道開拓のため、少し遅れて北海道に渡ります。その地で病に倒れ、夫が亡くなります

 

 

吟子も元々の病が治り切っておらず、治療のため東京に戻りますが、回復せぬまま、62歳で亡くなったのです。

 

 

荻野吟子の遺したものは何だったのか。

当時の環境の中で女史の活躍は、五里霧中の中に一筋の光を見出す、そんなものだったのでしょうか

現代の男女平等、女子活躍の精神の礎を築いたと思っていいのでしょうか

 

埼玉県のもう一人の偉人 塙保己一の記念館にも近々行ってみたいと思いました。