Xの使い方 | 不安はあって当たり前

不安はあって当たり前

今の自分から変わるために、信じた未来にかけると決めた。
新しい世界に飛び込む前は、不安があるのは当たり前。

でもやり切る能力がワタシにはあるから。
大丈夫。今はもがいていたとしても一時は苦しくても
このまま
前に進めば、未来は明るい。

言葉は狂気にもなり勇気にもつながる
不思議なことに
気持ちがざわめいていると
誰かの暴言が
自分に向けられたように感じて心臓がドキドキ、目がらんらん。
見なくていいのに何度も読み返して
何かしたかな?
いいねを押してはいけないのかな?フォローするのに許可がいるのかな?
コメントのせて帰ってこないのはなんでかな

そんなぐるぐるで
絡め取られそうになる。

ルールなんてあってないのに
誰かのルールに当てはまろうとして。

そんなことしていると
自分がつぶやいたかのようなコメントをみつけたりして
今度は嬉しくなる。

嬉々としてコメントしたりして。
自分の浅はかさをさっき後悔したのにいまはルールなんてないさと
強気になる。

承認欲求のかたまりだ、なんて誰かが呟いてるのをみて
悪口かと凹んだりもするけれど
確かにその通りと納得するのも悪く無いだろと
リフレームしたり。

つぶやきにイイねされたくなきゃ、世界に向かってつぶやかないでと
強気になったり。

自分の中でもころころ変わる言葉なのだから
他の人の中でも同じようだろう。
さっきの呟きは
いまはもう忘却の彼方。

そのままXをみていると
売られた喧嘩を買っている人をみつけて
私がつけたいいねをはずさなくてもよさそうかと
これまた妄想のように納得する。

悪口やそれに対しての反論は
出来ないならそのまま放置しよう。

私のことを名指しされたわけじゃなし。