このブログも始めて1年が経ちました。

いやぁあっという間でした。

読んでくださっている方…

今後ともよろしくお願いします。


さて、1周年の今日。

珍しく真面目な話です。



先ほど、テレビを見ていたら

過日の『あるある大事典Ⅱ』(関テレ)での虚偽放送を

めぐって、いろいろな話が出ていました。


私の友人Mも元々納豆が好きとは言え

今回のこの『あるある』の放送を見て

そこで紹介されていたダイエット効果を信じて

しばらく実践していたそうです。

(封を開けてから20分くらい置いておく+1日2パック)

ところが、その「効果」が実はまったく根拠のないもの

であったことが発覚した、というわけ。


で、第一に。

情報番組でありながら事実でないことを

捏造して放送したことに問題がある

というのは当然の話。

今回の事態を受けて「ここまで大問題になるとは

思わなかった」なんていうのは認識が甘いと思います。

だって「単純なミス」じゃないんですから。

意図的にありもしない情報を事実であるかのように

作り出してるんだから。


で、私が見ていた番組ではさらにゲストが

「視聴者がそもそもテレビを信じ過ぎ」

と言ったんです。


確かに近年、メディアが多様化するに従い

視聴者側のメディアリテラシーを高める必要性も

説かれてきています。

でも、それとこれとは問題がまったく別だと思います。


番組では

「ここまで影響が大きく出たということは

テレビが一流のメディアであることの証だ」的な発言も

ありましたが、これもそういう問題ではないと思います。

単に「公(パブリック)の意識、自覚が低い」だけ

なのではないでしょうか?


しかも…

ものすごく穿ったものの見方をすれば

私が見た番組は、問題を起こした放送局

(制作は系列会社とはいえ)自身で放送しているもの

ですから、本当にゲストの発した言葉がゲスト個人の

ものなのか、それとも脚本があって言わせているのか

…非常に気になるところです。


ま、私たちがテレビで目にできること

耳にできることなんて表面的なことだけですから

実際、現場でどんなことがどんな風に行われていたのかは

わかりませんが。
(もしかしたら「こんなのあり得ませんよ!」って声をあげた

スタッフがいたかもしれないわけだし。)

…自分の古巣(業界だけ)だけに

この事件は本当に気になるのです。


別に納豆問題自体はもういいんです。

(嘘だったってことがもうわかってるから)

そうじゃなくて、その後の制作サイドや放送局の対応とか

それを受けての総務省の対応とか

視聴者の反応、テレビに出ている人たちの意識etc...

そういうことがとても気になるのです。



視聴率競争に翻弄されて、大事なことを

見落としているのではないでしょうか?

おもしろければいい、わけないですよね?

反響が大きければいい、わけでもないですよね?

特に報道。そして情報番組。


「伝えること」におもしろさを感じるからこそ

健全であってほしい、と思います。



ボヘミヤンな生活。

憧れる…けど、自分の性格的には無理、かも?


でも最近、自由になりたい願望みたいのが

高まってきている気がします。

学生時代、自分は比較的好きなことをやって

好きに生きてるって思ってたけど

ふと気がつくと、それは「自由」だったんじゃなくて

自分が流れに逆らわずにいただけのこと。

それを自由と勘違いしていただけなのかも、と思います。


だけど実際、「君は明日から自由に生きていいよ」と

言われて…本当に喜べる人がどれだけいるのでしょう?

人間はある程度、縛られているからこそ

その隙間のささやかな自由を喜べるような気もします。

本当にすべてが自由だったら、意外に苦労が尽きない

のかもしれませんね。


でも、それでも今の私がやろうとしていること

やっていることは、流れに逆らうことで

確かに、どこまで逆らって生きられるものか

チャレンジしたいような気もしなくはない、な。

private、social…さまざまなしがらみから自由になりたい

というのは、今の私の本音な気がします。

もちろん、同時に完全な自由なんてないこともわかっていつつ。



今日は高校時代の友人たちと

新年会ということで、恵比寿でランチをしてきました。


みんなそれぞれ、いろいろな道を歩んでいます。

専業主婦になった子、医療関係に従事している子。

イラストを仕事にした子、販売の仕事に魅了された子。

SEになった子もいます。

でもみんな生きる道が大体、定まっていることは

共通しているように思います。

そう、私以外は。


確かに26歳にもなれば、普通は自分の将来に

大体の目安をつけられるのでしょう。

私も昔はそう思ってました。

でも現実問題、私は違うわけで。

だけど何より問題なのは

そういう友人たちのことを私が多少なりとも

うらやましく思っていること。


本当はそんなことを考えている場合じゃないってことは

わかっているつもりです。

そんな暇があったら、自分の将来のことを考えて動け!と。

帰りの道すがら、そんなやりとりを自分の中でしていることに

気付いて…久々にショックでした。


きっとこの先、本当に自由に生きたいと思うなら

そうやって生きていけるだけの術を早く身に付けなければ

文字通り「行き倒れ」になってしまうわけで。

だけど、未だに自分がどんな人生を歩みたいのか

どんな風に生きていきたいのか…

自分のことのはずなのに、情けないことに

答えが出せずにいます。


きっと諦めが悪い上に決断力が鈍っているんだろうな。

これも以前は自覚していなかった私の性格の一部。


って考え出すと、どんどんネガティブになるばかりです。



忙しくて物事を答えが出るまでしっかり考えられないことに

私は焦りや苛立ちを覚えていたけれど

もしかしたらそんなにしっかり物事を考えていたら

生きていけないから、人間は今のような社会の仕組みを

作ったのかもしれませんね。


でも思考が1度そうなってしまったら…

どうしたら元に戻れるんでしょう?


遅ればせながら、また1つ歳をとった自分に

景気付けの意味でもプレゼントを…ということで、

格安になっていた(なんと\1000!!)

『Hair』のDVDを購入。


もったいなくてまだ見れません(笑)


とりあえず今日は

数日前から見たくなってきていた

『ルパン三世 カリオストロの城』を見ました。

何度見てもあれは笑ってしまうのです。

そして改めて、ルパンはかっこよ過ぎるんじゃないか

と思うのです。

まぁ最後の銭形のとっつぁんの台詞もすごいけど。


ということで、"Hair"の感想はまた後日。



今日は日中お天気だったのに

雨が降ってきちゃいましたね。


久々に家で"Singin' in the Rain"を見ました。

やっぱり何度見てもあのタップはすごいです。

途中から一緒に見ていた友人も

「よくあんなに踊れるなぁ」と言ってたけど…

脱帽モノです。


それにしても、デビー・レイノルズは若い。

『コニー&カーラ』の時はだいぶおばあちゃんだから(ゴメン)

そのギャップがね。

でもあの青いキラキラした目は変わらないのですね。

まぁすごいと言えば、スターウォーズの旧三部作の

レイア姫が、『チャーリーズエンジェル フルスロットル』に

出てたのも衝撃でしたが。



今日はまだ治り切らない風邪を治すため

家でのんびりバイト探しなどしておりました。

インターネットでいくつか応募したんだけど

30分もしない内に1つは電話がかかってきて

早速、面接の日取りを決めました。

っていうか、早過ぎてコワイから。


まーいい加減、家にいるのも飽きてきたので

(と言いつつ、別にいようと思えばまだいれるような気もする)

そろそろ外に出ないとね。

でもこれから暖かくなるし…

4月からの新生活に向けて、フットワークを軽くして

行かねばと思うのでした。


そうそう。

全然関係ないんだけど

今日の夜ごはんは家のあまりものを使って

ビーフシチュープレートを作ってみました。

ま、プレートなんて言っても

ただごはんとオムレツとビーフシチューを

乗せただけなんですけどね(笑)


でもこれが意外にめちゃくちゃおいしかった!

ので、もし家にビーフシチューが余ってたら

試してみてください。

普通にシチューのみで食べるより、おいしいと思われます。


と、せっかく『ルパン三世 カリオストロの城』を見ようと

思っていたのに、意外にまったりし過ぎて時間が過ぎてしまったので

明日に先送りです。


そんなことしてる間に1月が終わっちゃうわー

ひゃー


はい、コンスタントに更新しています。

今年は頑張って、このブログもしっかり

やっていこうと思います。ええ。


最近、風邪をひいているようで

最初はおなかが痛くてびっくりして

そうしたら今度は微熱が続いてて…

ただでさえニート生活が想定外に長引き過ぎて

無気力な感じで困っているのに

どうしてくれよう、という感じです。

うーん。


まぁ外出は控えるにしても、これ以上

動かないのはまずい…ということで

今日は久々にみっちり掃除などしてみました。

うーん。


で、タイトルの『僕がついてる』。

またもや"Sweeny Todd"からです。

これは先日の公演で、いろいろあって

パイ屋でお世話になってる青年トバイアス役の

武田真治さんが歌っていた曲。


いつもそばに僕がいる

どんなつらいときも僕がいる

今日も悪魔が街中に溢れてる

きっと僕がやっつける ほんとうさ

心配しないで僕がいる

あなたのためにいつでもとんでくる

もしも悪魔があなたに 微笑みかけても

大丈夫さ 僕がいる


いやぁ純粋でらっしゃる(笑)

なかなか日常でここまでは言えないけど

毎日の生活で他者への思いやりと心遣い。

大切ですね。あと愛も、ね。



私も大切な人にはそれをちゃんと伝えられるよう

頑張りたいと思います。

今年はもう少したくさんの時間を共有できるといいな♪



いやぁ1ヶ月以上、ほったらかしちゃいました。

…applemixedyは生きています(笑)


クリスマスも終わり

お正月も終わり

26回目の誕生日も過ぎ…

でも、相変わらずな毎日。

まー悪くはない、ような気もします。


人生は生活の積み重ね。

生活は日々の営み、そのものですから。


ってこれから流れに逆らって学生になろうという人が

いうことじゃないような気もするけど。

でも社会人生活を経て、これでも少しは「現実」を

知ったつもり、なんですけどねー。



久々に日本語タイトル、ですが

決して諦めたわけではありません!(笑)

この「牧師はいかが?」というのは

先日、見に行った宮本亜門演出の

『スウィーニートッド』というミュージカルの劇中歌。


いろいろあって無実の罪を着せられた髭剃り屋を営む

中年男性がその仇を討つというお話。

そして遺体の処理に困った男性と、その男性を愛する

パイ屋の女店主は驚きのミートパイを販売、大儲け。


今回の髭剃り屋さんは市村正親さん。

そしてパイ屋は大竹しのぶさん。

圧巻、でした。


やっぱりミュージカルは2007年も最高です☆


今年は「歌って踊れるネコ科の動物」のように

自由で強くてしなやかな人間になりたいと思います。

…間違って、陽だまりでうたたねばかりしないように

気をつけなきゃ(笑)


クリスマスが近付くと

家族や友人のこと、自分のこと…

年末ということも手伝って

いろんなことを考えます。


みなさんは2006年、どんな1年でしたか?



私は…

結構、激動の1年だったような気がします。

キャリア面でも、プライベート面でも。

でもその分、自分にとって

何が大切なのか、何が価値のあるものなのか

少しずつですが見えてきたような気もします。

実行に移すのは簡単じゃないけど、ね。


いろんなことを自分なりに考えました。

楽しいことばかりじゃなかったけれど

だからこそ、周りの人たちへの感謝の気持ちを

強く感じる1年でした。

…いっぱい迷惑をかけられて、ぐったりした人も

いたかもしれません。

でも、みんなやさしかったし

そんな人たちに出会えて、囲まれて

私は幸せだなーと思いました。


だから来年は頑張ろうと思います。


また迷惑をかけるかもしれないけど

また弱音をはくかもしれないけど

それでもできる限り、自分を信じて

とりあえず今できることから

何でもやってみようと思います。


そして自分らしく

周りがどう、とか

理想がどう、とかじゃなくて

ありのままの自分を受け入れた上で

強くなりたいと思います。



多分、この目標はものすごく私的に

ハードルが高いんだけど

ここで頑張らなきゃダメなんじゃないかと思います。

ここで頑張れなきゃ。


ということで

私の周りにいる方。

来年も迷惑や心配などなど

いろいろかけます。

でも見捨てず、時には飴を

時には鞭をくれてやってください。

そして寂しがりやなので

時々甘えさせてください。

…逃がしませんよ!(笑)



ま、まだ2006年は10日くらい残っていますが。




sometimes down

sometimes up

but he doesn't care...



"CHICAGO"の一節です。

RoxieがEimosを歌うナンバー。

自分がどんなでも彼は自分を愛している、と。


それはとてつもない安心感であると同時に

とてつもない重さでもあるんだろうな。


心の底から欲するものでありつつ

いざ目の前に迫ると逃げたくなるような。



最近、あまり調子がよくありません。

夕焼けの空を見上げては

泣きたくなります。


こんなところで

こんなことで泣いてる場合じゃないって

わかっているけれど

それで心の雑音が消えるわけもなく。


ちょっといろんなことに疲れました。


自分の足でしっかり歩かなければ…と

思うのですが

やはり身近にいる人に頼ってしまい

気がつくと「守り」に入っている自分がいて。


そういうのがイヤだから

もっと自分の手で自分の世界を広げたいと思うから

もがいたり、飛び出したりして来たはずなのに

こんなんじゃ全然ダメじゃないか、と自己嫌悪。


その一方で

自分が「こうしたい、こうありたい」と思う自分自身の姿と

本当の自分の姿、自分がなれる自分は

必ずしも一緒ではないんじゃないかと

思うこともあります。


無理をしたり背伸びしたり

人間は誰でもそういうことをするけれど

ずっとできることではないわけで。

それでもそうしていきたい、そうでありたいと思うなら

その分、強いココロを持たなければならないわけで。


わかっているつもりだけど

難しいな、やっぱり。



人生は"all or nothing"ではない。

生きていくには一定の「執着」が必要で

生活に対する「情熱」が不可欠。



好き嫌いははっきりしているし

こだわりもなくはない。

でも同時に

私はいつでもそのすべてを

捨てることができると知っているし

捨てることに抵抗がない。


when I lose my dignity, will someone care?


答えはyes, but no.

人はやはり最後はひとりなんだと思います。

どんなにあがいても

人はやはり孤独からは逃れられないんだと思います。


でもあがくことをやめたら

沈むしかないんだろうな。





祖母が入院しました。

今日はその付き添いで久しぶりに

大きな病院へ行ってきました。


…やっぱり病院の雰囲気というか

あの独特の空気にはどうも馴染めません。

家族が入院するのは初めてのことじゃないんだけどね。


定職についていない昨今。

仕事をしていた時よりも

いろんなことを考えます。

特に自分の将来のこと、

そして人が生きていくということ。


今もこの瞬間も

人は何気なく呼吸をして

当然のようにここに存在しているかのようだけど

生きている、ということは

本当はすごく大変なことで

その「生きている」という状態を維持することは

もっともっと大変で。


その中で出会う人と

一緒に過ごせる時間というのは

本当に奇跡みたいなものだと思うのです。


だけど日々の生活の中で

私たちはそういう大事なことをすっかり忘れて

日常の物事に忙殺されがちで。

もちろんありがたがってばかりじゃ

毎日の営みは成立しないんだけどね。



物思いに耽る秋の終わりの夜です。