癌友のMちゃんが、1年も前に逝ってしまっていたことを
ご家族からの年賀状で知りました。
一昨年の年末に亡くなられたので
喪中葉書も間に合わなくて
だから今年いただいた年賀状に、返信するかたちで
Mちゃんの訃報に触れていたのでした。
お互い初めて罹患したのが10年前。
当時のネット上の同病患者会で知り合い、
同い年で、同じような治療の状況で、子供がいて。
そこから互いの連絡先を交換して
わたしは関東、Mちゃんは関西なので
電話で話すことが多かったけど
たくさんメールもやり取りして
お互いを励ましてきました。
先に、Mちゃんの再発が分かり
後に、わたしの2回目の初発癌が分かり
でもその頃からMちゃんはわたしにも
心の内をあまり深く話さなくなりました。
そして再発ではなかったわたしのことや
再発していない周りの同病の人のことを
心底羨ましい、妬ましい
ドス黒い感情に支配されていて辛いから
あっぷるちゃんの治療状況は聞きたくない、
と。。。
距離を置くような微妙な感じでやり取りするようになっていきました。
それでも、わたしは。
Mちゃんが旦那さんの理解を得られず
実母さんや妹さんからも理解を得られず
ひとりで治療を頑張っていることを知っていたので
おせっかいと思われても
連絡をすることをやめられませんでした。
相変わらずあまり詳しい状況は話してくれなかったけど
最後のやり取りの時
“重い心不全になり、もうやれる抗がん剤がないの。
でも諦めずにがんばるよ。
あっぷるちゃんと、おばあちゃんになったら会おう!って約束、
忘れてないからね!”
そう言ってくれました。
その後、気がかりながらも
あまり頻繁に連絡しては負担に思うだろうと我慢しながら
3ヶ月に1度くらい、メールを送り続けてきました。
でも、返信はありませんでした。
おばあちゃんになったら会おう!
それが最後のメールで、亡くなる2か月前でした。
Mちゃん。
東日本大震災のとき、
わたしの地域はそれほど被害もなかったのに
“買占め現象が起きている”とテレビで見たからと
人間が入れるくらい大きな段ボールに
大急ぎで買ってくれたであろう
レトルト食品やお醤油や洗剤やとにかくあらゆるものを
たくさんたくさん詰め込んで
送ってくれたね。
重量も相当だったから、送料だって高かっただろうに。
ありがとう。
以前、わたしの発表会での演奏をどうしても見たい!DVD送って!と言うので
真に受けて送ってしまったのに
何度も見てるよ!すごいね!すてき!って言ってくれて
本当に嬉しかったよ。
そのあと、再発が分かってまた治療が始まって
周囲に助けを求めないでひとりで、、、
わたしは、Mちゃんにアロマのセットを送って
抗がん剤用のふわふわ帽子を送って
ちょっと、恩返しができたつもりでいました。
でも本当は、Mちゃんが孤独な心を抱えたまま
ひとりで逝ってしまったのではないか
と
そう考えると
とてもやるせなくて苦しいです。
ご家族からのご報告を兼ねたお年賀状を受け取ったのが、
発表会の直前で。
わたしは自分の曲を集中して練習しているときでした。
郵便屋さんが来た音がしたから
ポストを見に行って
お手紙を読んで
でも何も考えられなくて
しばらく放心したあと
今は練習するんだ、、、、と
また演奏を始めたとき。
電子楽器からつないだスピーカーの音量が、
突然スーッと
ツマミをゆっくり手でひねるように
ゼロになりました。
一瞬、何が起こったのか分からなくて
演奏をやめ、スピーカーを調べると
見事にゼロになっていました。
Mちゃん、来たんだね。
1年も前に亡くなってたのに
わたしが知らなくて
それでまた演奏なんかしてるから
怒ったの?
まだ、わたしに対して妬ましい、て感じてるのかな。
わたしのことを見守ってくれているのではなく
悔しい感情が勝ってしまうの?
こんな風に文章にすると
うさん臭くて嫌なんだけど
電子楽器のこんな症状は初めてで
ボリュームを元の大きさに戻したらもうゼロにはならず
結局これ1回きりでした。
とにかく、とても複雑な言い表せない感情に
無理やりフタをして
3日後、発表会をやり遂げました。
その話はまた次に。
Mちゃんの旦那さんに、お手紙書こうと思います。
Mちゃんにも書こうと思います。
Mちゃんが辛い辛い治療で心も荒んでしまったけれど
もとはとても陽気で温かい人だったことを
わたしは助けになれなかったことを
取り留めもなくなってしまいそうだけど
残された子供さん達に
Mちゃんが素敵な人だったということを
伝えようと思います。
ただ、ありがとうと伝えたいです。
あっぷるまり~
