両親に鰻をご馳走したよ(^^) | 2度の癌・音楽の仕事・大学生娘との日々など

2度の癌・音楽の仕事・大学生娘との日々など

普段はマジメに音楽人。いまだに反抗期?!の大学生娘と、夫の3人家族。
音楽の仕事をしながら、病気のことや一人暮らしの娘のことなど、リアルでは言えない気持ちをありのままに書いています。

 

 

 

わたしの実家の両親は、今も昔も、とても質素に暮らしています。

父・ノリ爺おじいさんは、5兄弟ひとりひとりに女中さんが付くという、超絶金持ちの家に生まれながらも、

戦争によって国に会社も工場も広大な土地も家も奪われ、とたんに貧乏一家となって

大阪から芦屋に引っ越してきました。

今でも芦屋の墓地には先祖のお墓があるが、今じゃ許可が下りないほどの恐ろしく馬鹿デカい墓石が

かつての繁栄を思わせるべく、霊園の中でそびえ立っている。

このお墓が、最後の意地だったのかな、とも思う。

 

父・ノリ爺の先祖が栄えていたのは今はもう遠い過去の話であるのだが、父はお酒でホロ酔いになるとよくこの昔の話をする。

まず家の敷地が尋常ではなく、広い土地の建物の前を通ると、「この○倍はあったなぁ」とか懐かしそうに。料理人もいたから、食事も豪華だったのだろうね。

それを聞くたび、“戦争がなかったら、わたしも今頃お嬢サマだったかもハート”と心躍ったものだ苦笑

 

父は実家の家計を助けるため、夜間高校に通い、必死に働いた。母サツと出会い結婚、関東へ転勤。

親戚はみな関西なので、核家族となった。頼れる実家もない。

とても堅実に貯金をし、家を建て、わたしを音楽の道に通わせてくれた。

音楽の道は、本当にお金がかかるものだ汗2

よく、出してくれたと思う。特に音大の附属校時代の授業料がべらぼうに高かったぎくっ

楽器代も、レッスン代も、下宿代も。すっごい金額だったと思う。

 

それなのに、今になって、わたしはたいした親孝行が出来ていない。

たいした、というかほぼ出来ていないに等しい。恥ずかしい限りだぅぅ・・・

何度もこんな病気になり、心配させてばかり。

孫娘を見せることができたくらいだろうか。

 

 

とても質素に暮らしていた、わたしの子供時代。

はっきり言って、自営業の夫ヒゲジ?よりも当時の父の方が2倍近く稼いでいた。

ここだけのハナシ、夫も義両親もそれを知らないから、わたしの両親のつつましい暮らしぶりをみて、

小馬鹿にする。夫の従姉にも面と向かって両親を馬鹿にされたことがあるくらいだ。

自分が悪く言われるよりも、辛いね、家族が馬鹿にされるのは泣き3

 

 

確かに、地味な生活だと思う。

子供ながらに、どうして母はオシャレもしないんだんろう、なんであんな地味な服を着るの?と父に聞いたりしたものだ。

すると決まって「お母さんは自分よりも、さっぷる(姉)やあっぷるにかわいい服を着せてやりたいからだよ」と答えるのだった。

 

贅沢をしない両親が、お給料日?や何かお祝い事があると、唯一出掛けたのが

鰻屋さんだったのだにっこり

老舗の名店の鰻は、当時もとても高くて、家族4人で食べたら当時でも1万円はしたと思う。

特別な時にだけ食べる、老舗の鰻。

 

だから今でも、あっぷる家にとって、鰻は特別なものなのだにこり

 

 

美味しい!美味しい!とニコニコして食べてくれたいひひっ

小さな小さな恩返しだ。2018年、土用の丑の日。

 

 

 

 

 

P.S

先日のウクレレケースの余り布で、コースターを作ってきてくれたよハサミ

大事に使います。

 

 

 

 

 

 

あっぷるまり~りんごchan