今日は、久しぶりに “ 手作り ” カテゴリー
前に少し書いた、母サツのこと。
母が、難病である心臓病から起因する脳梗塞を発症したのが、17年ほど前のこと。
身体の麻痺は免れたものの
言語の麻痺が残った。
前の日の夜まで、電話で普通に会話していたのに
次の日に病院に飛んでいくと
「あっぷるちゃん」
なぜかわたしの名前だけ明確に言えた。
父の名前も姉も、ほかの名前も言えないのに。
医師から
「この名前は?」と質問されても
頭の中に浮かぶのに、言葉に言い表せなかったという。
もう、母と以前のように会話できないのかと
病院の廊下で声を押し殺して泣いた。
言語療法士さんと、ひらがなを思い出す作業から始まり
わたしも毎日病院に通い、子供用の自由帳に一緒に文字を書いた。
ボタン→ボテン
靴→つく
惜しい!笑
ただいま→おかえり(言いたいと思う逆の言葉が出てくる)
言語療法士さんがゴリラの絵を見せると
「メリーさん!」とはっきり。いやいやそりゃ羊やろ
友達にはがきを書く練習では
「こんにちは
退院がんばります
お元気ですか?」
3行で終わる
文章を順序立てて組み立てることができない。
スーパーのレジで金額を言われたら
その代金を支払う練習。
たとえば「905円です」と言われて
細かいお金がなかったら?
1000円札と5円玉を出す。
そんな練習も、イチからやった。
ときに泣いて、笑って励ました。
夫の伯母さんと従姉からは、わたしが
次女だから嫁に迎えてやったのに、もっと夫の家族を大切にしろ!
と抗議の電話もあった。
ちなみに、まだぷる子は生まれておらず、まだわたしは某大手音楽教室に勤めていたので
朝ご飯も夕ご飯の支度も毎日済ませてから、病院→教室→帰宅だった。
掃除も洗濯もひとりでやった。
でも、なぜお前には姉がいるのに毎日実母の世話をしに行くのかと
言われたときは、言い返す気力もなかったわ。
夫ヒゲジはノータッチ。味方もしてくれなかったな。
忘れないよね、ああいうこと言われたな~って
幸いにも
母は日一日と回復していき、
言葉を取戻し、だいたい普通に会話することもできるようになった。
でも、脳梗塞の前より怒りやすくなり、キレやすくなり
少しずつ少しずつ
じわじわと後遺症が出てきた。
認知症の発症を助長してしまうと本に載っていた通り。
とんちんかんな言動が増えてきた。
前にも書いた通り、父も母も
認知症の早期治療はしない、と頑なだ。
最近わたしも頭を悩ませている、と書いた。
正論は何なのか、分かっている。
でも自分の思うようにはいかないものだね
さて、やっと本題
そんな母サツだが、病気前から続けているパッチワーク、手芸。
これがなかなか頭を使うのだよ
布の裁断、作業工程、これがよいリハビリになっている。
先日日帰り帰省をした際、オーダーしたのが、こちら。
↓↓↓
ウクレレのケース
布は母と一緒に選んだ。
楽しいひと時だった
ファスナーの部分は葉っぱになっている。
かわいいでしょう?
肩掛け紐の金具部分は、父ノリ爺の出番。
革で作ってくれた。
内側は水色のシマシマです。
母の作品。
これまでもたくさんいろいろ作ってくれて、
使いきれないくらいあるのだが
いつか
これらを見て涙する日が来るんだろう。
わたしの病気だと、先に死ぬ可能性も大なんだけど
とりあえず
母と父を見送ってから。と思う。
大事に使います
P.S
今日はウクレレと意気揚々と出掛けたのに
教室閉まってた・・・
レッスン来週だった笑
そして、ぷる子は向こうで楽しく過ごしている様子
わたしは寂しい気持ちはなく(反抗期娘から解放されてホッ)、しばしの独身ライフを満喫しております
あっぷるまり~でした