あっという間に1月も終わりが見えた。早いもんだねぇ。
今まわりでは人生の岐路に立ってる人が結構いる。
彼らは悩むと同時に後悔もしてたりするんだ。
でもね、俺思うんだ。
どんな道を選ぼうと、結局のところ大して変わらないって。
どこにいるか、誰といるかが重要なんじゃなくて。
どんな自分でありたいかが大切だから。


ほしいものがあって、手に入れたいともがいて、それでも手に入らない。
“わたしはなぜこんなにも不幸なのだろう”と思ったりする。
じゃあどうなれば幸せなんだい?
望んだものが手に入れば?
幸せってそうじゃないと思う。
例えば……そう、目玉焼きを綺麗につくれたときの嬉しさのような。



かたちを持たない日々

たまにはこんな贅沢しながらさ、ゆるりと生きていこうよ。
皆さんは「飯野」という名前を聞いて真っ先に誰を思い浮かべる人だろうか?
友人や恋人の名か、あるいはそれが自分の名前だったりするかもしれない。
僕にとっては「飯野」といえば飯野賢治さんを真っ先に思い浮かべる。

1990年代にDの食卓やエネミーゼロで一世を風靡したゲームクリエイター、飯野賢治。
ブログを読んでみたら、とてもいいことを書いていた。
アウトランという80年代のアーケードゲームの“気持ちよさ”についてだ。
当時幼かった僕にもアウトランの気持ちよさは理解できた。理解というより、感じたというべきか。
開放感溢れるグラフィックと軽快なBGMで構築された世界を時速300キロで飛ばす気持ちよさは、10歳にも満たない子供でもわかるもんだ。
それは90年代のバーチャ2、デイトナ、セガラリーにも共通したゲームならではの気持ちよさという点で一貫している。他社でいえばリッジシリーズもそうだ。

僕にとっての“アウトラン”はなんだったのだろう?と考えると、F-ZEROにたどり着く。
圧倒的なスピード感とロックをベースとしたBGMでとにかく爽快感溢れるゲームに仕上がっていて、一言で言えば気持ちいい。
このゲーム面白いと思うゲームに共通しているのは全て気持ちいいゲームということ。それは操作感だったり、世界観だったり、音楽だったり。

繊細な感性と大胆な発想は両立できるんだよ。
気がつけばもうそろそろ一月も終わりが見えてきた。
こりゃやばいってことで初詣に行ってきた。



かたちを持たない日々

靖国神社。
60数年前に行われた戦争でこの国を守るために若くして散っていった人たちが眠る場所。
いつからか「日本人らしい」という言葉がネガティブにとられるようになってるけど、
慎み深く恥を知る日本人ほど素晴らしい人たちはいないと思うよ。
この国に生まれ生きる一日本人として、60年後の息子たちが幸せに暮らせる国をつくっていきたいな。



かたちを持たない日々

さあ、この鳥居をくぐればお賽銭箱にたどり着きます。
そしてこの中で写真を撮ると怒られます。
お賽銭入れて願い事を……☆彡



かたちを持たない日々

末吉って微妙;





かたちを持たない日々

あとは近くのこんなところや、

かたちを持たない日々

こんなところにいったり。

ちなみにタコライスはおいしいけどあえて食べるほどじゃないという感じ。

実際経験してみないとわかんないもんだよねぇ。
知識増やしたり想像するよりも、たった一度経験するほうが感じるもんなんだよなぁ。