最も長く続いた苦痛の期間は20年以上。
根深く、解決に至るまで何度も自殺を考え、失敗に終わったものの未遂を繰り返した原因になったものがある。
物心付いた頃からずっと続いた母親の飲酒だ。
酒に強いわけではないから大量に飲むというわけではないが、なんせ酒癖が悪い。
酔って絡むのはもちろん、酷くなると暴力を振るう・支離滅裂な言葉で詰る・手当たり次第に散らかす等、言葉で言ってしまえばこれまたこの程度なものなのだが幼かった私には大きな傷となったし、今でも傷として残っている。
私が保育園に通っていた頃から、母親はスナック通いをしていた。
頻度こそ覚えていないが週に2~3度は行っていたのではないか…少ない回数ではなかったように思う。
近隣にはそういった店がなかったため、タクシーを利用して約20分ほど移動した駅前の繁華街に母親のお気に入りの場所があった。
店に行くときは、私も連れて行かれる。
濃いめの化粧をした母親に夜遅くに連れ出され、酒の匂いのする店の中に入る。
行くのはスナックと呼ばれる場所で、座るのはいつもカウンター席だった。
私が連れて行かれる理由は心配によるものなどではなく、幼い子供がこんな店に来ているのは珍しい!とその店に訪れる他の客から飲み物や食べ物を奢ってもらうためだったように思う。
私の手元には常にお菓子やジュースが並べられていたし、隣に座るおじさんは毎度違う人ではあったが基本的には優しかった。中には頭を撫でたり膝に座らせようとしたりといった人もいた。
母親も飲み始めは普通に穏やかだ。
スナックのママや声を掛けてくる他の客と普通に会話もできている。
が、瓶ビールを1本飲み切る頃には呂律も回らなくなり視点も定まらなくなり、だんだんと態度が悪くなっていく。
それまで成り立っていた会話は一切噛み合わなくなり、自分の苦労話や不幸話といった定番の内容を延々と繰り返し、最終的に落ち着くのは女手一つで私を育てていることの話だ。
頼る人がいないのだ、苦痛でしかないが頑張っているのだ、と如何に自分が立派にパートも子育てもこなしているかを延々とアピールする。
私はその材料でしかないから、母の言う「立派」を嘘にしないために周りに配慮し、気を利かせて動き、必要とされている言葉を吐かなくてはならない。
母が散らかしたテーブル周りを片付ける、煙草を吸う人だからライターで火を付ける、配膳や食器の片付けなどスナックのママの手伝いをする…思い返せば母親の評価が良くなっているかは怪しいところだが、その時は自分ができることをやるのが最善だと思っていた。
幸い私が献身的に母親の世話をしていたからか、私が「きちんと育った」という評価にはつながっていたと思う。
散々一方的に自分の話をして酔いつぶれた母親はカウンターに突っ伏して寝てしまい、他の客も引き上げた早朝に近い時間まで店に居座る。
スナックのママの呼びかけでどうにか目を覚まし、酔ったままでもタクシーに詰め込むことが出来てしまえば私が運転手に住所を伝えどうにか帰宅することができる。
運悪く起きてくれない時はママの力を借りてボックス席へ運び、横たわらせてもらう。そのまま場所を借りて、目を覚ます朝まで過ごすのだ。
すみません、ごめんなさい、きちんとこの分のお金も払うように言います。
そういったことを口にする4~5歳児も珍しいだろう。
母親が目を覚ますまで一緒に眠るわけではない。そこからは、ママの手伝いをする。
もちろんそんなことはしなくていい、と言われるがそうもいかない。
ここできちんとしておかなければ帰宅してから母親が不機嫌になり殴られるかもしれないからだ。
実際不機嫌を招いてしまい家に帰るまで暴言を履き続けられたり物を投げられた経験があるからこそ、そうするしかなかった。
食器の片付けや、床や各席の清掃、力も身長もないため出来ることなど限られていたが可能な限り動いた。上記のような恐怖がそうさせているのもあったが、母親が店に、ママに、客に迷惑をかけているという認識があったからだ。
朝日が昇って、ママもそろそろ帰宅を…となった頃にはある程度母親の酒も抜けて呼びかけに応じるようになる。
起こした母親の手を引いて、ママに呼んでもらったタクシーに乗せて家まで連れて帰る。酔いがほとんど覚めている時は駅前のタクシー乗り場まで歩くときもあったが、そこまでの道のりで詰られることも多々あった。
役立たず、余計なことを喋るな、私の印象を悪くするな…母親が寝ている間にママや他の客と話したこと、良かれと思って手伝ったりしたことがこうして裏目に出てしまうこともある。
その時の母親の気分によって左右されることも多々あるため、同じようにして何の問題もなかったことももちろんある。
全ては母親の気分と機嫌次第。この頃から人の顔色を伺い、望まれていることを先回りして動き、自分を守っていた。
母親が酒を飲むのはスナックだけではない。
金銭理由など色々あったのだろう、幼い頃の私にはそこまで察することが出来なかったが家で缶ビールを飲むことも多かった。
この頃飲むんでいたのはいつも、スーパードライという有名な銀色の缶ビール。
決まった量はなく、その日によって変動するが毎回酔い潰れるのがお決まりだ。
自分の家だからという認識がそうさせるのか、基本ひどく散らかす。
煙草を吸いながら残飯のような料理をし、キッチン周りをぐちゃぐちゃに汚し散らかし、物を零し落とし。
一度、そうめんを茹でてザルに上げる際、生ゴミで溢れた三角コーナーへ誤って流し入れたそれを口に詰め込まれそうになった時は流石に泣いた。
散らかすだけなら掃除をすればいいだけだからまぁまだ放置していてもいい。
問題は煙草だ。
酔って煙草を吸うものだから、灰皿に置いたのを忘れて新しい煙草に火を付けることもある。灰を落とさず持ち続け、床やテーブルに落として焦がしたこともある。テーブル周りには郵便物が無造作に重ねられているものだから、そこに落として火がついたこともある。
なんせこれが一番怖かった。また酔っているからと先に寝ることもできず、大人しく寝落ちてくれるまでひたすら起きていなくてはならない。
困ることはもう一つあった。
酔ってアルコールが回っていると必然的にトイレに行く回数が増える。
初めのうちはまだ意識もある程度しっかりしているため戻ってきてくれるのだが、眠気を感じ始めた辺りからはもう大変だ。
トイレから、出てこなくなる。便座に座ったまま、下半身を露出したまま中で寝ているのだ。
ドアを叩いて呼びかけて起きてくれればまだいい。
出てきた後のトイレは股間を拭いた後のペーパーが便器内に落とされず床に落ちていたり、排尿を終えないまま立ち上がって飛び散っていたりと散々なこともあるが、自分が用を足したい時に使用することはできる。
もちろん起きてくれないときもある。
鍵を掛けない人なのでドアを開けて、見たくもない下半身には目を瞑り、揺さぶって起こす羽目になる。
が、それでも起きない場合もあり、その時は最悪浴室で用を足すしかなかった。
幸い便意を催すことはなかったため、拭く代わりに水で汚れを洗って床のタイルも流してしまえばどうにかなったが、こんなことをしなくてはいけないという状況に悲しくなった覚えがある。
何度も何度もそんなことを繰り返し、どうにかそれを解決できないだろうかと考えたこともあった。
5~7歳の頃だっただろうか、テレビで「やったつもり貯金」というのがやっていた。浅はかな考えではあるが、それでどうにか飲酒から気を逸らせないかと、その頃の私にとっては藁にも縋る思いだった。
空き箱で貯金箱を作り、パートから帰った母親に見せた。
お酒を飲みたくなったらやったつもり貯金しよう、貯まったらお買い物したり出かけたりできるよ。
そんなことを言った気がする。
応えてくれるんじゃないかという気持ちが、あった。
「馬鹿にするな」「死ね」物凄い剣幕で殴りかかられた。
何かが母親の逆鱗に触れたのだろう、それはもう鬼のような形相で。
何度も何度も怒鳴られ髪を引っ張られ張り手を食らった。
ああこの人には何を言ってもだめなんだろう、酒をやめてくれることはないのだろう、と諦めがついたのもこの時だ。
一通り暴れた母親はその後酒を飲み始めた。
いつものように掃除して、母親が寝落ちるのを待てばいいと思っていたがその日はそうもいかなかった。
酒を飲んだことで先程までの怒りが膨れ上がり、包丁を持って詰め寄ってくるのだ。
「どの手がこんなくだらない物を作ったんだ」「誰のお陰で生活できると思ってるんだ」「私が働いて稼いだ金で飲んでるんだ口答えするな」手首を捕まれながらそんなことを言われた。
実際に切られはしなかったが歯を肌に押し当てられ、薄い皮膚が破れて薄く血が滲んだのは覚えている。
ひたすら怖いだけの時間だった。殺されると思った。
どうにかなるかもしれないと思った行動は、どうにもならない結果と恐怖で終わった。
自分を守るために、母親に酒のことで何かを言うことは出来なくなった。
死ぬかもしれない、殺されるかもしれないという状況が酷く怖かった。