5月になると一連の決算関連の業務が一段落つく
6月には役所に提出する書類の締め切りがあり
ボーナスの準備などでまた慌ただしくなるので

 

今は束の間のホッとできる時期だ

この時期に一度だけ慌ただしく過ごしたことがある
3年前 父が新型コロナに感染したのだ


コロナ禍2年目 まだまだ危険な病気という認識の時だった


東日本大震災から10年という節目の年で
報道陣が大挙して押し寄せたせいなのか
地元の仙台周辺だけ急激に感染者が増えていた
毎日のように病床逼迫のニュースが流れていた

当時 父は80歳
まず助かる見込みはないだろうというのが医師の見立てだった
集中治療室に入って 人工呼吸器をつけるという選択肢もあるが
まだ普通に会話もできるうちに 親しい人にお別れの挨拶して
穏やかに最期の時を迎えた方が良いのではないですか

そんなとをかなり直截的に言われた

人工呼吸器をつけて改善しなければ気管切開することになります
この年で気管切開したら 回復しても一生人工呼吸器外せないですよ
そうなると介護が必要になりますが ご家族にその覚悟はありますか等々

父は医師の説得を受け入れ ゆっくりと最期の時を迎える覚悟を決めた
後は家族の同意を取り付けなくてはいけなかったのだろう
時には深夜に病院から電話がかかってきて ぼーっとした頭で決断を迫られた


「どうする家康」状態で説得に負けそうになるの踏みとどまり
素人なりに他の事例を調べていた
 

すると似たような状況で

人工呼吸器をつけて回復した例がないわけではないと

いうことがわかった


渋る医師に人工呼吸器をつけてもらうようお願いした

そこから事態は急速に進んだ


これからすぐに集中治療室に入ります

お話するならすぐに済ませてください


次出る時は治った時か死んだ時ですと

婉曲的な表現で言われたで 父に電話をした


皆にゆっくりお別れも言えないなか

死んでしまうかもしれないけど
家族としては最後の賭けをさせて欲しい

可能性はあるから何とか頑張ってくれと


まだ普通に話ができる父に話しながら

これが最後の会話になるかもしれないと

考えていた


その後 父は気管切開に至ることなく奇跡的に回復した
 

退院の日 数週間前に今生の別れをした父と

顔を合わせるのは何とも照れ臭かったが
とにかく生きていてよかったと思った


今では死にかけていたのが嘘のように

毎日プールに通っている

言葉にすると陳腐だが この時の経験で

最後まで諦めずに頑張ることの大切さを学んだ


当時の苦しい状況を懐かしく思い出しつつ

仕事でも人生でもこの教訓を生かしていきたい