みなさま、お元気でしょうか?

今年は殺人的猛暑。
毎日毎日暑くて大変ですね…。






次回の投稿からまたまた日にちが経ってしまいました…
気長にとは書きましたけれども…
なかなか更新できなくて。
またしても、お楽しみに!詐欺になってしまいました…。
ごめんなさいー。




そして今回はスタジオ記録でもなく。
個人的に記録しておきたい映画の話です。





ずっとみたかった「カポーティ」という映画をようやく見ることができました!


いままでブログでも紹介したことのある、トルーマン・カポーティの名作、「冷血」の執筆活動を描いた映画です。
私はまだこの作品読めてないのですが…結構怖くて…まずは映画からということで。




トルーマン・カポーティの代表作はティファニーで朝食をですが、もう一つの名作がこの冷血です。当時はまだ主流ではなかった「ノンフィクション」の新ジャンルを切り開いた作品でありました。


ノンフィクションということは、実話をもとに描いてるわけなのですが…扱っているのは殺人事件。ある一家を惨殺した2人の犯人との取材、交流をもとにして書かれたものなのです。
なんか生々しく怖そうなのでなかなか読めなくて、映画をやっとみました。





まずずーっと作品でしか触れたことのなかったカポーティさんが人物として形あるものとして描かれていて、へえ、こんな雰囲気の人だったんだ〜とただただ感心。
声が高くて、奇妙な喋り方をするのが特徴。社交界の場では会話の中心。ずっと喋りっぱなしで、ゴシップを上流階級やスターの方々に披露。



ある日、事件の記事を目にし、取材を行うことを決意。大義とかそういうことではなく、ちょっと新しいいい作品が書けそうじゃん、的な…したたかさなありました。




金を目当てに一家の家に強盗に入った2人の男は、死刑を宣告されていました。
罪もない家族を殺したにもかかわらず、大金があるとの噂は間違いで、手に入れたのもわずかな金…という。なんともお粗末かつ、悲惨な事件でした。



カポーティは取材をするうちに犯人の1人、ペリーと親密な関係になっていきます。


親戚の家を転々として過ごした幼少期を持つカポーティと家族から愛されずに育ったペリーの境遇に共通点があったからです。
ペリーと自分の違いについて、カポーティは劇中でこう語ります。





「例えるならば…彼と僕は同じ家で育ったが、彼は裏口から出ていき、僕は表玄関からでた…」




辛い幼少期を過ごしたという共通点が2人の間に言いようのない絆を生じさせてしまいます。

けれども、相手は殺人犯。
そして、自分はノンフィクションを書いて満足したいという気持ちもある…。
そして物語の完結のためには、彼らの死刑執行が不可欠。



「冷血」というタイトルは、犯人の残忍で人でなしの血のことを指しているそうですが、執筆のために彼らの死を望むカポーティのことを指しているという説もあるそうです。


ときに歩み寄りながら、ときに突き放しながら、ペリーと関わって行くうちに、カポーティは精神を病んでいきます。



そして犯人2人の死刑執行がとうとう行われました。



どうしようもなかった。僕にはペリーを助けるすべはなかった…



とカポーティは言い訳のように言いましたが、友人は



助けられなかったじゃなくて、あなたは助けたくなかったのよ…



とばっさり。


言いようのない余韻を残してのラストでした。




カポーティは冷血執筆後、作品を描き途中でアルコール中毒のために急死しています。
冷血の創作において、かれが何かに直面し、精神を病んでったのは間違い無いと思います。

殺人犯、ペリーの姿に自分のあったかもしれない姿を投影してしまったのだと、私は解釈してるのですけど…どうなんでしょう。



興味深いのは2人の生い立ちが似ていたことですよね…。よく、犯罪を犯してしまう人の幼少期に家庭的問題があったり、愛されずに育った生い立ちがあることはよくありますが、同じような境遇でも才能を開花させて、有名になる人もいる。


上述したカポーティの言葉が的を射ていて、犯罪者と天才はもしかして、こんなことを言ったら語弊があるかもしれないけれど、紙一重なのかもしれないと思いました。
才能とか、ちょっとしたきっかけとか、自分を高められるものとの出会いがあったか、なかったか、そんな違いでどっちに転んでいてもおかしく無いような…。



けれども、表玄関からでられた人が完璧に幸せだとも限らなくて、晩年のカポーティの苦悩を思うと、結局のところ、愛情をかけられて育つって本当に大切なんだなと感じました。


かれの書きかけの晩年作品には、「まだ汚れていないかいじゅう」というセリフがあるようで、自身の狂気と戦ってるような感じがします。

あったかもしれない姿は、彼らの死を望んだ時点で現実になってしまった。
自分の醜さ、怪物な部分に押しつぶされた。
そういうことなのでしょうか。



久々に余韻が深い映画だったので書いてみました。 役者さんも、演技うますぎです。


お読みいただき、ありがとうございました。