ミラノでの生活、1〜2年目は諸事情でなかなか自分のために使えるまとまった時間はありませんでしたが、3年目に一気に楽になった実感がありました。

 

諸事情というのは、

子供が相対的に今より小さかったことによる諸々(病気とか、常に付き添うとか)や、生活全般に不慣れなために起こるいろんな非効率、そして、あれもこれもやりたいという選択肢を捨てきれない(決めきれない)中途半端な気の持ちようでした。

 

1〜2年目にも細々とは自分の好きなことの一つに関する時間を割いてはいたのですが、3年目に一気にそちらに傾けられる時間が増え、それだけをやることを決め、引っ越し準備が本格化してきた数週間前まではなんとか続けていました。時期によって増減はあるものの、平均するとこの10ヶ月くらいは大体1日3時間、週3日くらいのペースでその時間を持てていたと思います。特に最後の方は昼ごはんを食べる時間も惜しいくらいで、体をそんなに動かさなくてもお腹が空くという体の仕組みを恨みました。笑


そういうふうにはまる対象を持つこと自体が記憶の限りではかなーーり久しぶりです。その対象自体に関しては書き始めるとキリがなく、熱い思いが垂れ流しになるのでそれを書くのはまたいつか別の機会にしたいと思いますが、今日のポイントはそこではありません。

 

楽しくて幸せだった時間をしみじみと振り返りながら思ったのですが、好きなことだけで生きていけたら幸せなんだろうなと思っていましたが、今の私が感じることは1日3時間、週3日だけでも好きなことができるだけで十分幸せに感じることができるな、ということでした。

 

1日3時間、週3日「だけ」、と書きましたが、実際この時間てかなり絶妙なラインだと思います。そこまで少なくないけど、多くもない。私の場合この3時間は連続した時間で必要でしたが、主婦生活は、隙間時間はわりとあるものの、まとまった時間となるとそれなりに工夫や意志がないと無理。1・2年目と3年目を比べると、自分のコントロールできない部分でちょっとしたことがいくつか少し好転しただけですが、その変化がなければ3年目もそんな時間は取れなかったかもしれません。

 

日本に帰ってからはフルタイムで仕事が入りますから、当然この3時間x3日を確保することは難しくなりますし、おそらくしばらくはほぼ不可能になるのですが、四六時中好きなことをやっていなくたって、合間合間にやらなきゃいけないことや他のいろんなことをこなしつつだって、この程度の時間が確保できればかなり幸せかも、ってことがわかったのはとても良かったなと感じています。もしかしたら、やらなきゃいけないこともあるからこそその時間をより幸せに感じるのもあるかもですね。

 

本当は、仕事が定時で終わるのが当たり前であれば、子供が大きくなった時にはこの時間を捻出することはできるんじゃないかと思うのですが(介護とか他のことがまた出てくるのかもしれないけど)、働き方がモーレツ系だとちょっと難しそうですね。長い目で見て仕事をしながらも幸せを感じるための時間を確保できる方向に持っていきたいなと思います。