朝、旦那さんは目を覚ますと、すぐにテレビをつけてYouTubeを見始めます。ウクライナとロシアの戦争、中国の動向など、世界のニュースを熱心に追いかけ、何かしらの情報を吸収しようとしています。それ自体は決して悪いことではないのですが、彼のその様子を見ていると、何か大切なものが欠けているような気がしてなりません。

 

その「大切なもの」とは、自分自身との対話です。彼が一日の始まりに一瞬でも、自分の存在や命の鼓動を感じる時間を持つことができたなら、彼の人生はもっと満たされたものになるのではないかと感じます。情報を追い求めるのはもちろん大事ですが、心の奥底にある自分との対話が欠けていると、恐れや不安に満たされ、孤独感にさいなまれることが増えてしまうように思います。

 

その恐怖や孤独を埋めようと朝一番から懸命に自分を助けてくれるかも知れない情報をかき集めている。内なる神聖なる存在は「私はここにいるのに、どうして頼ってくれないで、他人を頼り、他人の言葉を鵜呑みにするのですか?」ととても寂しそうです。

 

彼の人生が時に恐れや不安で埋め尽くされ、まるですべての問題を一人で背負い込んでいるかのように見えるのは、もしかしたら、彼が自分自身をそう扱っているからではないでしょうか。神聖なる存在を思い出せなくて、一人で全てやろうとしてしまうのです。彼が自分の内なる声に耳を傾け、自分自身との対話を始めることで、その恐れは和らぎ、孤独感も薄れていくはずです。

 

さらに、神聖なる存在に想いを馳せることができれば、彼は決して一人ではないということを次第に知るようになるでしょう。そして、そのことを体験として実感できるような出来事が、きっと彼の人生に訪れるはずです。私たちは、情報に振り回されるのではなく、自分との対話を大切にし、内なる静寂の中で本当の自分を感じる時間を意識的に作ることが、より豊かな人生への鍵になるのではないかと改めて感じました。