先週、義父が旅立ちました。

 

病気が分かった1年前には、余命は数か月かもしれないと言われ、その後、幾度となく、あと2か月、あと1週間、年は越せない、と言われていたにも関わらず、医師の余命宣告を何度も覆してきました。

最期まで義父らしく旅立っていきました。

 

 

絶対に越えられないと言われた2023年を入院しながらも迎え、体調は徐々に落ち着いていきました。

1月は驚くことに退院もできて、少しホッとしたりもしたけれど、その数日後転倒して、また感染症→入院となったりしました。

それでも、2月末にあった義母の3回忌のときには、退院して、法要にも参加しました。

3回忌の時には、腰の痛み(転倒のせいなのか、病気のせいなのか、こればかりは分からないのだけど。。。)杖をついて歩いていたようです。(3回忌には行っていないので、夫の話だけが頼りです。)3回忌の写真を見たときは、少し病気辛そうなのかな?と言う感じの表情がありました。このとき、先は本当に長くないかもしれない。。。と私の中で覚悟した部分もありました。

 

そして、3月に入って早々に入院になりました。熱や吐き気があって、救急車で運ばれたようです。

11月にもなった肺炎です。11月の時と同じように肺が真っ白になってしまっていると。11月の時よりも重症だと言われました。

11月の時には、余命1週間と言われたので、その時より重症ということは、もうそういうことなんだ。。。と思いました。

それから数日後、少し薬が効いたのか義父から電話が1日に2回かかってきたりして、「電話できるなら、まだ大丈夫」と言い聞かせる日々でした。と、思えば、次の2日間は全く連絡が来ず。。。あとから聞けば少し危険な状態だった、とのこと。でも、その次の日には、「まだ生きてるからな~」と電話がきたり。

3月上旬は、長女の卒園式・卒園旅行と色々予定があって、そことの睨めっこも始まりました。卒園式は何とか出席させてあげたいし、できれば夫も参加してほしい。あわよくば、その後の卒園旅行も行きたい。。。と思っていました。ずっと前から計画していた仲良しのお友達との旅行だったからね。でもこればかりは神に祈ることしかできなくて。

だけど、義父は本当に頑張ってくれて、私と夫と揃って長女の卒園式に参加することができました。写真を送ったら、「おめでとう」と返してくれたようです。その流れでお友達との旅行も無事行くことができました。

最初に悪くなった肺は、薬で少し良くなったものの、今度は反対の肺も軽い肺炎を起こしてしまっているようでした。痛み止めのモルヒネも使用していたようです。

 

少し落ち着いているのかな、と思ったのもつかの間、3/17(金)の朝、会社に夫から電話が入りました。

「もうあと数時間」と病院から電話が入ったと。急いで向かっても間に合わないかもしれない、と言われていたようです。

いよいよなのか、間に合ってほしい、でも間に合わなくても十分やれることはやったよ。と夫に言い、夫は義父の元へ駆けつけました。義父のお姉さんが先に病院に来てくれていました。そして、夫も何とか間に合ったようです。

午前中はまだ意識があったようだけど、夫が病院に着いた時には、もう眠っている状態で目を開けることはなかったそうです。

 

そして、深夜1時頃、静かに息を引き取りました。

 

夫が最期に間に合って本当に良かったと思うし、義父もきっと必死に待っていてくれたんだと思います。

義母の最期には立ち会えなかった夫。きっと辛いけど、義父の最期には傍にいたいと思っていたはずです。

 

悲しいけれど、すごく頑張ったし、人生を全うしたんだと思います。

亡くなった後の義父は、生前と全く変わりなく、本当に眠っているようでした。元気に起きてくるんじゃないかと何度も思いました。亡くなる前は食事も食べられずに苦しかったようですが、体型もほとんど変わらずでした。

 

天国で義母に逢えていますように。

心からご冥福をお祈り申し上げます。