機能不全家族って言葉、大人になってから知ったけど、
調べれば調べるほど、これって私が育った家の事だ
特に当てはまっていた特徴は・・
- 親が子供を、自分の持ち物と捉えている
- 子どもへの愛情が条件付き
- 物理的、精神的な虐待がある
- 家庭内が常に緊張状態
細かい出来事はたくさんあるけど、
はっきり言えるのは、
実家で、心から”ほっ”と安心してくつろいだ事がない
物心ついた時から実家を出るまで、
家の中にいる間は常に他の家族の物音にビクビクし、常に気を張って過ごしていました。
ちょっと楽しい時間があっても、すぐに祖父が機嫌を悪くして怒鳴り始める家だったんです。
私が育った実家の家族構成は、年齢順に
- 母方の祖父
- 母方の祖母
- 父
- 母
- 母の妹(真ん中の)
- 母の妹(末っ子)
- 私
- 私の妹(真ん中の)
- 私の妹(末っ子)
でした。
この実家での生活で、生きていくのに苦労する概念をたくさん吸収しました。
こうやって見ると、母も私も三人姉妹の長女です。
ここに、ヒントがありました。
母が、私に対してしてきた言動はすべて、
母自身が自分の親にやられていた事だったのです。
特に、「長女が家を継がなければいけない」という謎ルール。
しかも、普通の家で、名家でもなければ、自営業で商売をやっている訳でもありませんでした。
母が、実家に居たくないと思ったら、実家から出て暮らす方法もあったんです。
だけど、母は結婚後も実家で暮らす決断をした。
たとえ、イヤイヤだったとしても、それはその時の母の決断だったんです。
私自身も小学校のころから、祖母と母に「モモは長女だから家を継ぐんだよ」と何回も言われたけど、
その時はすでに実家に絶望していたので、”それなら死んだ方がマシ”と本気で思ってました。
祖父祖母の言動を思い返すと、幼少期の母にとっても、実家は居心地がいい場所ではなかっただろうなと思います。
それでも母は、実家に残って、ストレスをため続け、その捌け口が私でした
今思うと、家族っていうより主従関係でした。
常に監視がある牢屋に入ってる気分。
だけどね、その牢屋には鍵なんてかかってなかったんだよ
自分が出たいと思ったら、いつでも好きなところへ出ていけたんだよ
いくら周りが私に命令しても、
私の人生の進路を決める権利は、私が持っているんだから。
”被害者”の囚人服を脱ぎ棄てて、
唯一無二の人生を、
私の意思で生きよう