クリニック再建までの道のり ドキュメンタリー
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クリニック再建までの道のり ドキュメンタリー

個人クリニックの経営は大変です。採用した人材一人のせいで気が付かないうちに深刻な事態になってしまう事があります。実家を引き継ぎ立て直し、誰もが羨むクリニックへ変貌させる決意を胸にリアルタイムに投稿し実現させていくためのドキュメンタリーです。

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地方都市で9年前に父がやっていたクリニックを継ぎました。それまでは複数の医師が繋いで来てくれました。しかし、専門医もない前院長の一味による解体劇が起こりました。私が院長となって1ヶ月、瞬く間に驚く間も無く。そしてすぐに駆けつけてきてくれた人達。私は残ると言ってくれた人。2ヶ月の研修を受けさせた二人の新人ナース(一人はナース2年目、一人は6年目くらいで転職歴ふくすう)も、古株と被った時期があったため、洗脳されて試用期間の最終日に辞めました。そこの紹介会社は二度と使わない!ずっと二人の様子がおかしいとは思いつつ、遠慮もあって優しくし過ぎたと思ってます。採血もルートをとるのもままならず、それでも育てるんだという気持ちで見ていた。私がやった方が早いが、黙っていた。でも、そんな事は言ってられない。思ったよりも吹っ切れてる。そんな人はいなくていい。早くわかってよかった。以前から母が親しくしている紹介会社の担当者とやっと連絡がつき、私と初めて面会し、私を支えたいと言ってくれた。本当に今回逃げるどころか寄り添って来てくれた方達には感謝を忘れない。元院長は、うちの父が大学病院で作り上げた父というブランドを利用して、誰もが行う臨床研修で回った診療科をプロフィールにあげ、内科認定医と感染コントロールドクター(院内のこのチームに入ってラウンドする暇があればみんななれる)を名乗り、うちの父が決死の覚悟で買ったCTとMRIがある事をわかっていながらこれを活用する術もあまりなく、自分が読影しているかのような態度で患者に接し(読影医に読影料を払っているのはあちの法人)、これだけの医療施設の院長なのに売り上げが著しく低く、理事長がやりくりをして閉院にならずに済んだ。そしてさらに、当院を買ってもいないのに、ホームページに3年間承継したと書いてあった。承継とは、理念も入るのだが、全く理念を理解しているとは思えない私への言動の数々。
遠方で子供を二人育てながら医師をしていた私は、3年前から色々子供っぽい騒動が絶えない話を母から度々聞いていたので、やっぱりそういう先生を入れたらそうなると思ったよといつも言っていた。いよいよ、「これではもたない。戻って来て欲しい」と母に言われ、私も地元に戻りたい、母や妹弟の近くで子供達も安心して育てたい、父の本当の凄さも理解できてきて、自分も今ならやれる技術を持ったと思えたので、昨年2024年上の子供の医学部受験、2025年下の子供の中学受験を終えて、2025年3月末より実家のクリニック入職、前院長には院長に残って頂き私が副院長をやると説明すると、院長職という重責は追いたくないし、家業を手伝わないといけないからという理由で非常勤を希望された。それについての診療日を決めるに際しても、候補をあげて来られるので色々考えて相談に行くと、また違う事を言われる、その度にこちらの体制も変えないといけない。引っ張られること約5ヶ月、4月末にやっとそろそろ決めてくれと契約をし、5月に私が院長就任、5月下旬に前院長がもう辞めたいです、と言った。
3年前には母も相当疲れていて、承継することも視野には入れていた。私も知っていた。しかし彼は最初は乗り気で当院に来たのだが、その大変さをわかったのか、自らM&Aをしない事を選択し、半年前に自ら院長を辞めたいと言い、非常勤を希望した。その後も新しい体制を作ることに異常な反発を示して突然辞めると言い出した。非常勤だけどこれから残られるならこれからも経営の事や戦略についても話し合いに参加して欲しいと伝えて理事報酬も払った。それなのに、新しい体制を作ろうとしている事に異常なアレルギー反応を示す。自分のスタイルがある、自分はこのように患者さんに対応している、と何度も聞かされたが、それはこちらも同じ。そんな事は当たり前のこと。それを妨害したことなど一度もない。
半年前の2025年1月に院長として残ってもらうと言った際には、もうすでに彼が院長で私が副院長として入職する雑誌は出来上がっていた。2024年の夏頃には、母から彼に伝えていた。私の診療科は、クリニックでも手技による治療ができるので、開業向きの科である。単価が高いので、(売り上げが低いにも関わらず)給料をあげてくれと言い出していたのだから、私がいる方が良かったのではないか。他の先生がヘルプで来られて彼に挨拶に来た時も、かたや専門医+大きな病院の元院長先生で、かたや専門医なしの認定医なのに、警戒心丸見えの態度で対応したとのこと。他にも自分より年齢も経験の上の先生方が来られたが、そのように対応したとのこと。
当院退職翌日に、〇〇クリニック元院長の、という彼独自のブログをあげていたのを発見した。こんなに立つ鳥跡をにごす人ははじめて見た。そういえば、4月末の理事会で、「二代目の先生が継いだ時、先代の時の従業員が辞めるなんてよくあることですよ」と言っていた。やっぱり、考えてないことをやるなんてことはないのだから、そういうことだったんだね。と思った。
本当に、危機感の足りないうちの家族。
ただ、すぐに駆けつけて来てくれた人も沢山いた。私はもう少し残ると言ってくれたナースもいた。前に問い合わせてくれたベテランナースもまだ採用されてないとのことだったので、早速採用したいと連絡してもらった。
とにかく、人を大事にする。このことだけ。
ナースとしての経験値は、これからの世の中こそ、より沢山ないとこれからはだめだろう。ナースにも、求められるようになる。看護科の教育に、他者を思いやる気持ちを育む授業を入れてもらいたい。紹介会社は淘汰されるであろう。
これまでの事は、私がなにかしてこうなったわけではない。私は仕事を淡々とこなすタイプ。一つのことをやっている間に余計なことを考えたくないタイプ。むしろ、複数医師体制でやっていくことも前院長に伝えていた。もしかすると、自分以外が専門医になってしまうことを危惧していたのかもしれない。今となって、そのためのこの騒動だったのかと、そう思っている。医師が理想的なクリニックを語るなら、自分で作るしかないと思う。私は父が突然クリニックをやると言い出し、それまでは大学病院で活躍するのが正しい医師の道と思い込んでいたのが、突然変わり、母も院内の対応に追われるようになったり、その様を医学生の時から見ることができたし、やっぱり父の実力はすごすぎる、自分ではまだまだ継いだりしたら潰してしまう、としっかり現実を自覚できていたので、長く実家を空けてはいたが、
簡単に「先生が継げばいいじゃん」などと軽く言われても、先生には実家があるから良いよねなど言われても、ただの二代目のボンボンは実家があっていいよね、みたいにしか聞こえたなかった。立場によって、違うのに、簡単にそんな事を言うなよ!このお医者様が!と思うこともよくよくあった。
私は覚悟を決めた。必ずクリニックを再建する。旧態然とした、どこかの真似をするのではなく、融通のきく、気持ちの温かい、みせかけではない、許しあい助け合う、真剣に診療に全力で向き合う、人としてどうすべきか。自分だけがしんどいのではなく、相手もそうかも知れないと思いやり、言葉以上に行動としてそっと寄り添うことのできる人間。医者である前に看護師である前に、そういう事を一番大事にするクリニックにする、今決めた。これを伝えたいと思う。

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細かいことを気にしないで賞

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