夏から長いスランプに陥っています。


「夜と霧」というユダヤ人精神科医のフランクルの強制収容所の体験記録を読んで、その中の一節に衝撃を受けてしまったのです。


決してネガティブな事を言ったわけではなく、むしろその反対です。

強い精神力の持ち主で、前向きだったからあの過酷な状況下で生き延びられたのです。


でも、私にとっては辛い一節でした。


本はきっかけに過ぎなかったかもしれません。

きっと、それまでに積み重ねてきた思いがあったからです。


「あまり深く考えないで、そのうち光が見えてくるよ」

あたたかい友人の言葉にも「そんな事わかっているよ。もっと別のことを教えてほしいの。別のことが知りたいの」と、イラついてしまいます。


また、別の友人の何気ない嫌味が胸にグサッと刺さったままです。いつもなら聞き流したり、跳ね除ける力があったはずなのにね。


元後輩の活躍にやけに動揺して、今までに感じた事のないあせりを感じたりね。


前は、夜は旅行記を書いたり、次の旅行の手配、予習をしたり、旅サークルへの書き込みをしたりしていました。


色々な勉強も続けていましたが、あの時以来中断したままです。


寝る前は手書きの日記で閉めるのが日課だったはずが、気がつけば一ヶ月以上も書いていませんでした。


何も手がつかない。相当あせっていました、わたし。。。


そんな悶々とした時ですね、森本英世さんの歌に出会ったのは。

歌を聴いたり、映像を見ている自分は許せるんです。誰かに・・、何かに・・助けてもらいたいと思っていた私に、救いの手が伸びてきたんです。


不思議な事に日記は書けなくなっても、ブログは書き続けています。

ブログを書いていると、自分の気持ちが整理出来て色々な答えが出てきます。


いつもの年は紅葉なんて目にも入りませんでしたが、やたらと今年は紅葉を楽しんで、山の景色に目を奪われています。ブログに紅葉の事なんて書いてるよ、と自分で自分に驚いています。

それ以前にブログを書く自分に驚きましたけどね。


でも、季節折々の変化を楽しむって、実に人間らしいことですね。今年を逃がしたら、もうこの景色に出会えないかもしれないですからね。


今、少しずつですが、もとの生活を取り戻し始めました。

家に帰ってしまうと勉強をする気になれないので、残業がない時は図書館で閉館まで勉強をするようになりました。今までの勉強量に比べたら少ないですが、やらないよりはましです。


旅行記は仲間のものから少しずつ読めるようになりました。


自分の旅行記は書く気が起こるまで待ちます。誰にも迷惑が掛かるわけではないですから。

旅行記を書く作業って、大変な労力なんです。元気な時しかできません。


この調子だと、少しずつ前の自分に戻れるかもしれません。


私にあせるなと言うほうが無理なので、大いにあせっていいと思っています。

あせって、人を妬んで、悔しがってる自分の醜さを認めましょう。。。


アップル@信州





「夜と霧」著者フランクルが収容されたダッハウ強制収容所(オーストリア)。


彼はアウシュヴィッツ強制収容所からここに移送された事で助かりました。

ここには、アウシュヴィッツのように一度に何百人も収容するガス室がなかったからです。


ミュンヘンのビール祭り「オクトーバーフェスタ」に行くはずが、日にちを間違えてしまったため急遽ここに行きましたが、決して時間が余ったからといって行く場所ではありませんでした。