こんにちは
子どもの頃の話 ①はこちらから。












「自分がレベルの高いところに居れば、レベルの高い人達に出会える」
母は常々こう言っていた。
いわゆる、皆んな良い御宅のお嬢さんばかり。
最近不眠気味のapple
です…
今日は朝から雨

お仕事休みでラッキー
です。
さて、今日は私の中学時代のことを少し書いてみようと思います。
2年間の受験勉強を経て、私は第二志望にしていた某女子校に入学。
中高大とエスカレーター。
当時から若干進学校化していたので、大学へそのまま進む子もいたが外部受験して附属の大学へ行かず、より高偏差値の大学へ進学する子が増えている学校だった。
「自分がレベルの高いところに居れば、レベルの高い人達に出会える」
母は常々こう言っていた。
確かに、入学した私立の中学には公立の小学校時代には出会わなかったような友人が沢山いた。
父親が会社経営者と言う子が多く、弁護士、医師も何人かいた。
サラリーマンの娘も勿論いたが、日本を代表する名だたる大企業に勤めている人ばかり。
そう言えば、かなり有名な政治家の孫もいたなー。
そして、友人の親が殆ど両親共に大卒だった。
(母親が短大卒って言う方が多かったのかな)
我が家はどれにも当てはまらなかった。
父は高卒だし、母は前回の話に書いたように中卒で准看護師になり、のちに夜学に通って正看護師になった人。
私の同級生の親たちは、だいたい70歳前後の方々。うちもその年代。戦後間も無くの生まれで、この時代で大卒の方って本当はそう多くはないはずなのですよね。周りが特殊なことに気づかなかった私…。
いわゆる、皆んな良い御宅のお嬢さんばかり。
仲良くしていた友達の中に、母親があくせく働いているお家は無かった。(クラスメイトにお母様が大学教授とかお料理教室を自宅で開いているという子はいた。)
今となっては、一生懸命働きながら、3人の子を育ててくれた両親を否定する気は毛頭なくて、むしろ本当に何不自由なく、私立の中高一貫校にまで入れてくれ大学に行かせてくれた親に物凄く感謝してる。
私の中高時代はバブル真っ只中だったので、当時の父親の年収を聞くと、とてもとても中小企業の年収とは思えないぐらい貰っていた。
二人とも田舎から上京し、まじめにコツコツと仕事をし、都内に小さいながらも一軒家を建てて、本当に立派だと心から思ってる。
父も母も本当に勉強家で、家には沢山の専門書が並んでいて本を読むのが当たり前の環境に育ったし、美術に造詣の深い父はよく私を美術館に連れて行ってくれた。
外でも聞き分けの良かった私は小学生になる前から、父と二人で、よく上野の国立西洋美術館へ行った。
父と絵を観るのはすごく好きだった。
無口な父が、ポツリポツリと蘊蓄を語ってくれる。その得意げな横顔を見るのが好きだったなぁ。
そして、お母さんには内緒だよ、と真緑色のクリームソーダを二人で飲んだ記憶。
父は私を叱ることも、何か注意することもしない人で、私はこの40年間一度も父に怒られたことがない。とっても温和な人だ。
その代わり、父もまた母の言いなり。(笑)
休みの日は母親と弟妹と図書館に行き、何十冊も本を借り、図書館に無い本を欲しいと言えば惜しみなく買ってくれた。
母は完璧主義なところがあって、家事も仕事も全力投球で手抜きが出来ない。
仕事をしていて大変なのに料理も手を抜かなかったし、掃除も常に行き届いていた。
でも、その皺寄せが子供に向けられたのかな〜。
時折、なにかのスイッチが入ると、本当にヒステリックだった。
と、また母の事を語ってしまったけど…

そんなこんなで、中学に入って周りに引け目を感じた私は、自分の家に物凄いコンプレックスを持つことになった。
高学歴で高収入な親と賢い兄弟。
おばぁちゃんを「おばあちゃま」と呼ぶような
良い家柄。(笑)
こればかりは自分の努力だけじゃ手に入れられない。
努力すれば夢は必ず叶うのよ…と教えてくれた母。
小学生時代、私にずっとそう言い続けていた母。
嘘だ。
努力したって手に入れられないものが沢山あるじゃないか。
受験も終えて燃え尽きたかのかもしれないけど、何だか無気力になっていく自分を感じた。
12歳の春に受けた人生で最初の大きな洗礼だった。
