神様は地球見ていました。
ある日殆どの子供が自分がきらいなのをみて悲しくなりました。
それは家庭からよく怒られていたからです。
「今度のテストは何点だった?」
「成績表を見せなさい。」
「もっと勉強しないと人から認められないよ。姉はちゃんと勉強してるじゃないか。」
親は子供の自己評価を作ってきました。
ありすは可愛いとも言われず愛されてないと思いがちでした。
家も立派なのにねることもできるのに食べることも困りませんでした。親からなぐられるので、どんどん自分は愛されてないと否定的になりました。

学校人たちから「あの子かわいいくなよね。」

学校先生からは
「あなたの兄弟は成績もいいのにね。どうしてこうもちがうのかな?」

「どうして私と上の兄弟をくらべるの?」
というと先生は

「なんて反抗的な子なのかしら。いっていいこと悪いことがありますよ。」
といわれました。

家に帰ると父親によびさだれました。
「今日、学校から電話があったいったことおぼえてるな。」と

たたかれました。

その中でありすは次第に自分は愛されてないと感じいらない子だとかんじはじめました。
しかし、ある日教会にいくといつもハグされていました。女の子いつも不思議でした。教会はなぜハグされるんだろうと。

ある日ありすは言いました。
「私は自分が嫌い
なのにどうしても愛してるとかいてあるの?」
そういうと教会の人は困った顔しました。
「そんなこと言ったら神様が悲しまれます。自分のことを赦してくれた十字架の愛を受け取りなさい。赦しあいをうけとって痛かったことを祈ってみなさい。、」
ありすははいのり赦し受け取ると涙がこぼれ落ちました。少しずつでしたが、いのり悔い改めていくうちに女の子は変えられていきました。
そして、主を、賛美し伝道するものとしてかえられていきました。
病気もありましたが癒やしを受け取りました
自己否定して自分は消え去り自己肯定的なことを言葉に出すと病気も少しずつ治りつつあり明るい性格へと変わりました。
ありすは毎日いのり悔い改めていき癒やしを受け取り、赦しの中でかえられていきました。

学校でも、身を低くしつつ学校でも絶えて祈りました。
誰もいないとこで賛美だけが唯一の心のささえとなり

その結果「あの子最近かわったね。笑顔がかわいいしやさしくなったよね。」




先生達からも
「前みたいなことも言わないし、毎日笑顔になりましたね。」ほめてくれました。

親からも
「勉強はできないが笑顔がかわいくなったね」
と、褒められました。



私は誰よりも愛されてるとおもえて神に賛美しました。