神様の願いにはだいたいの話は
自分がかきたいというより
体験談、また十字架の愛を受け取っていたのに
ずっと、かえわれないということは
傷があるときづいた。
神様としては傷のない人として天に迎えたいのだろう。
私は自分の傷がどこにあるのかいのり始めた。
昔からいままでの。
涙がでるが
自分を赦すというのは受け取ることに気付いた。
だいたいの人から自分が赦せないなら赦しなさいと間違って解釈してきた部分がある。
人を赦しなさいと亡き父親に色々あった父と子対立はいろいろあり、自己否定的に落ちた。
新聞配達して人を赦しなさいと何度も何度もたたかれるようにいわれてもその人達のきずはどうだろうかと思う今日この頃。
当時の教会の牧師はコロナのことで
教会しめいまではまごができるほど面倒を見ている。、
当時のちいさかった子も20さい
いやー私も年食ったなといえる。、
おばちゃんになったが泣き虫。
でも、赦しを受け取るという大切さは大事なんだとつくづく思う。
[イザヤ書 61:1,2,5,6,7]
神である主の霊がわたしの上にある。
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
心の傷ついた者を癒やすため、
主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、
囚人には釈放を告げ、
主の恵みの年、
われらの神の復讐の日を告げ、
すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。
他国の人は立って、
あなたがたの羊の群れを飼い、
異国の民があなたがたの農夫となり、
ぶどう作りとなる。
しかし、あなたがたは主の祭司と呼ばれ、
われわれの神に仕える者と言われる。
あなたがたは国々の財宝を味わい、
彼らの富を誇る。
あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、
人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。
それゆえ、人々は自分の地で二倍のものを所有し、
とこしえの喜びが自分のものとなる。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4–2–3号
[ホームページ]
https://graceandmercy.or.jp/app
オリンピック開催ともにバアル信仰がはじまる。
これが現状で終わり後には大不況のかぜというがおちだろう。
(゚-゚)よくわからないがけいきょの話もユーチューブにアップデートしてもだめというせかいになりつつある。
聖書が焼かれるのかはわからない
かみがない時代でもいきてきたのに
恵みの時代が終わるのだろう。
その前にしないといけないことはやまやまだが。
傷は癒しとかないとね