私は成年後見制度命拾いした。


しかし私の中にはサウルのような罪がありながらも神様は私を生かした。


聖書に有るようにダビデはサウルにいのちをとらなかった。


神がよしとされるまではみなに神が守る。


私はサウルのような罪がありながらも

先祖崇拝から偶像崇拝までくいあらめてきました。

私は沖縄と本土のハーフです。

両家にはとても分厚い壁が有った。

父は小さいころ体弱くお母さんにもお父さんにも見舞いにきてもらえなかった。


憎しみの連鎖は私達にもうけつがれた。

私は1つずつくいあらめてきた。


結果父は文句ばかり言ってた。

サウルの霊はうけつがれたが、まさか私には及ぶとは思わなかっただろう。


私はストレスで友人や当時カウンセラーだった人は今や盲目になったが


私は彼女赦した。


人に依存し薬ばかり飲んでいた。わたしにとってはクリスチャンと言っていいのだろうかと思うほどであった。

当時メガチヤーチだった。

裁判所かけられネットで大きくとりあげられるほど

私の教会も1人1人の罪があった。

わたしはなにもきづかなかった。

私にも原因があると。

サウルのようではいけないよっと牧師がいた。

それが今のLINEグループのリーダーだった。

私はサウルのような高慢な罪と傲慢さがあったのだと深々とくいあらめた。

ストレス社会のこの世界は精神科というものをつくった。

本当は聖書にのっとた生活をしていれば精神科などいらないのだ。


しかしこの世は愛が冷えた世界。

だんだんとストレス社会。

第二次世界大戦が終わったあとにしか精神科といったり特別支援学校の話は聞いてない。


 サタンの冷え切った世界は愛がほしいほど大変ひえきった。

貧困問題、離婚、今の世は殺人だらけ。

でも、少女まんがも少年まんがも間描いてきたが私は絵にひかれた。

私の世界ではパソコンでかくのが当たり前の時代になっていた。


しかし、誰も認めない中色鉛筆パステルにひかれた。

本土では色鉛筆使うと一流と認められてしまうのだという。

認められたかったがサウルのような罪は私をわがままにしていった。

精神科は私のわがままだった。

父が他界する中

兄は成年後見制度をはじめた。

初めは障害者年金返せー!

とおもったが今では兄が補佐人でなければ私はとっくに刑務所である。


兄は1年向精神薬がとれた。

傷ついた心はイエス様にしかとれない。

兄のカウンセラーはとても優秀だ。

沖縄県全土といえどもそういう人はいない。

でも、不平不満では治らない。


兄が県職員だから。


私のような病気の人がブログは本当はかいてはならない。

ブログには危険性がともなうからだ。

しかし、今の時代ひえきった中酷くお金が欲しいひとおおくてブログで商売している。

イエス様は神殿で鳩売りをしてはならない。

この世がサタンの世界に支配されてなければ聖書にのっとった世界であれば


ブログをただしくみちびけたであろう。