◆【今朝の学び】「恥に代えて二倍のものを(神様は笑うお方?)」新・創世記の学び(58)

今日は「新・創世記の学び」の58回目です。

昨日に引き続き、創世記21章から「恥に代えて二倍のものを(神様は笑うお方?)」というテーマで学びます。


<神様は笑うお方?>

すでに学んだ通り、神様の約束に対して、アブラハムとサラは、せせら笑いました。

これに対して、神様はどのように応えられたでしょうか?

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創世記 21:6 サラは言った。「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。」
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神様は二人の待望の子どもに、「イサクという名前を付けなさい」とおっしゃいました。

ご承知の通り、イサクには「笑う」という意味があります。

ですから神様も、神様をせせら笑ったアブラハムとサラを、「せせら笑われた」のでしょうか?

神様って、そのように意地悪なお方なのでしょうか?

もちろん違います。

新改訳聖書では、そのようなニュアンスで翻訳されていますが、事実は違うのです。

新改訳の翻訳では、神様の愛のご性質を疑わせるような訳になっていて、問題アリです。

このような場合は、英語のKJV(キングジェームズバージョン)を見てみましょう。

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創世記 21章6節(KJV) God hath(=has)made me to laugh, so that all that hear will laugh with me.
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これを日本語に訳すと、「神様は私を笑わせてくださったので、聞く者はみな私と共に笑ってくれるようになるでしょう」という意味になります。

いかがでしょうか?

つまり、創世記21章6節の本当の意味は、「神様は私を笑わせてくださった」=「私を喜ばせてくださった」という意味なのです。

新改訳と KJV の訳を対比してみましょう。

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新改訳:神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。

KJV:神様は私を笑わせてくださったので、聞く者はみな私と共に笑ってくれるしょう。
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いかがでしょうか?

原典に近いKJVは、神様のご愛を良く表しています。

これに対して、新改訳は本来の原語の意味を曲げて、明かに次のように解釈しています。

「二人が神様をせせら笑ったので、神様も二人をせせら笑われた。

だから二人の待ちに待った子どもに、イサク=笑う、という皮肉な名前を付けたのだ。

二人はイサクを見るたびに、自分たちの失敗を思い出し、恥じ入るようになるだろう」と。

私は以前、そのような主旨のメッセージを聞いたことがあります。

ところが、これは単に「翻訳の問題」なのです。

翻訳者が、そのように意地悪な先入観を持って、本来の意味を曲げただけに過ぎないのです。

その結果、神様の大らかなご愛が曲げられてしまいました。

それで、「神様は意地悪で冷酷なお方だ」と誤解される要因になっています。


私はこの際、声を大にして言いたいです。

神様は、そんな意地悪で、皮肉を好むお方ではありません。

神様の愛は大らかで、私たちのちっぽけな愛をはるかに超えています。

本当は、神様はサラに「笑い」を与えてくださり、「喜ぶ者」としてくださったのです。

決して、神様がサラを「せせら笑われた」のではありません。

神様は、アブラハムとサラを喜び、励ましておられるのです。

「わたしはあなた方にイサク(=笑い)を与えた。だからあなた方は、大いに笑って喜びなさい。

周囲の人々も、あなたがたと共に笑って喜んでいるよ。」

このように神様は、私たちの恥に代えて、二倍の祝福を与えてくださるお方です。


<恥に代えて二倍の祝福を受ける>

仮に、私たちが神様に対して不敬虔なことを言い、不敬虔な行為をしたとします。

でも神様は、そのことさえも働かせて益としてくださいます。

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ローマ 8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
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神様は私たちの悪に対して、善で答えてくださるお方です。

神様は私たちの罪に引き換え、二倍の祝福を与えてくださるお方なのです。

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イザヤ 40:1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。

40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
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さらに私たちは、「恥に代えて二倍の祝福を受ける」と書かれています。

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イザヤ 61:7 あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。

それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。
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「恥に代えて二倍のものを」、これが今日のメッセージのテーマでした。

そのように神様は、私たちの悪に対して善で答えてくださるお方です。

ですから私たちも、悪に対して悪で応えてはいけません。

「悪に対しては善で応えなさい」、と命じられています。

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第一テサロニケ 5:14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。

5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。
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さらにローマ書12章。

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ローマ 12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
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「悪に対して善をもって報いる」「善をもって悪に打ち勝つ」、これが私たちへのご命令です。

神様もアブラハムとサラの「せせら笑い」と不敬虔に対して、これをカバーしてくださいました。

そして聖書ではむしろ、アブラハムとサラの不信仰や失敗ではなく、彼らの信仰が強調されています。

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ローマ 4:18 彼(=アブラハム)は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
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ですから私たちにも、このアブラハムの信仰を持つようにと勧めておられます。

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ローマ 4:23 しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、

4:24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

4:25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
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私たちも、何よりアブラハムの信仰を手本として歩んでいきたいものです。

いくつか、みことばを読んで、今日の学びを終わりましょう。

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ローマ 4:16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。

「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
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アブラハムは、私たちすべての者の「信仰の父」です。

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ローマ 4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
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神様は無から有を作り出すことのできるお方です。

ですから、この方を信頼しましょう。

神様にとって不可能なことは何一つありません。

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ルカ 1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。

1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
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ゆえに私たちは、神様の約束のみことばを信じきって歩んでいきましょう。

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ルカ 1:41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。

1:42 そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。

1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。

1:44 ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。

1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
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私たちは、間違っても不信仰の罠に陥ってはなりません。

信仰は、私たちの携挙への希望を確かにします。

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ヘブル 3:12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。

3:13 「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

3:14 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。

3:15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。

3:16 聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。
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私たちはこの信仰に堅く立って、携挙の日まで忍耐を持って歩んでいきましょう。

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ヘブル 10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
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ハレルヤ!



※過去の学びはこちらで読むことができます。

<ローマ書学び>
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<ヤコブ書学び>
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