◆【今朝の学び】「アブラハムが繰り返した失敗(2)」新・創世記の学び(56)

今日は「新・創世記の学び」の56回目です。

創世記20章から「アブラハムが繰り返した失敗(2)」というテーマで学びます。

アブラハムは、またも大失敗をしてしまいました。

しかも、以前エジプトの地で犯したような罪を、そっくりそのまま再び犯しています。

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創世記 20:1 アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、

20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です。」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。

20:3 ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」
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このようにアブラハムは、ゲラルの地でもサラを自分の妹と称し、保身を図りました。

その結果、ゲラルの王であるアビメレクがサラを召し入れ、神様からいさめられることになりました。

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創世記 20:7 「今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。

しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」

20:8 翌朝早く、アビメレクは彼のしもべを全部呼び寄せ、これらのことをみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。
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それでアビメレクは、アブラハムを叱責しました。

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創世記 20:9 それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。あなたが私と私の王国とに、こんな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。」
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それは、アブラハムが嘘をついたので、アビメレクとゲラルの地に災いが及んだからです。

アビメレクが、一国の統治者としてアブラハムを叱責したのは、むしろ当然のことでした。

今日は、この続きを学びましょう。


<アブラハムの言い訳>

アビメレクはアブラハムに、「どうしてこんなことをしたのか?」と聞きました。

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創世記 20:10 また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはどういうつもりで、こんなことをしたのか。」
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これに対してアブラハムが答えた理由は、単なる言い訳に過ぎませんでした。

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創世記 20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。

20:12 また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。

20:13 神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうして、あなたの愛を私のために尽くしておくれ。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言っておくれ。』と頼んだのです。」
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モーセの律法が現れる以前は、アブラハムの場合のように、異母兄弟や姉妹との結婚は禁じられていませんでした。

ですから道徳的な問題はないでしょう。

しかし、サラを自分の妹であると主張することは、妻であることを隠すための嘘なので、大いに問題があります。

アビメレクは、アブラハムのこの言葉に呆れてしまったようです。

アブラハムに何も反論せずにサラを返しました。

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創世記 20:14 そこで、アビメレクは、羊の群れと牛の群れと男女の奴隷たちを取って来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。
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その際、アビメレクは、羊の群れと牛の群れと男女の奴隷たちを取って来てアブラハムに与えたばかりか、非常に寛容な態度を示したのです。

かつてパロの場合は「エジプトから出て行け」とアブラハムに命じたのですが、アビメレクは「ゲラルの地に住んでも良い」と言いました。

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創世記 20:15 そして、アビメレクは言った。「見よ。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思う所に住みなさい。」
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アビメレクは何と寛容で、しかも紳士的であったことでしょうか。

さらに、アビメレクはここで、サラを守るためのある申し出をしています。

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創世記 20:16 彼はまたサラに言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。きっと、これはあなたといっしょにいるすべての人の前で、あなたを守るものとなろう。これですべて、正しいとされよう。」
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銀千枚は「賠償金」、ないしは「証拠金」のようなものでした。

それは、サラを守るための保障として支払われたのです。

この事の経緯を、新共同訳は良く説明しています。

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創世記 20:16(新共同訳)また、サラに言った。 「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これであなたの名誉は取り戻されるでしょう。」
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KJVでは「銀千枚のおかげで、サラが非難されることに対して、皆の目がおおわれることになるでしょう」となっています。

ですから、アビメレクの言葉はサラを守るためのものであったことがわかります。

このように、アビメレクは非常に寛容で、しかも紳士でした。

これに対して、アブラハムは非常に臆病で、自分の保身ばかりを計っていました。

このことは、アブラハムがまだまだ信仰的に幼なかったことを意味します。

その証拠に、アブラハムはかつてエジプトでした失敗と同じ失敗を繰り返してしまったのです。

ところで、繰り返された失敗の原因は、いったいどこにあったのでしょうか?

答えは「破れ口」です。


<「霊的な破れ口」を閉じる必要性>

どこかに「霊的な破れ口」があったのです。

外敵に対するアブラハムの「霊的な輪」が、完全には閉じられていなかったのです。

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ヨブ 30:12 この悪童どもは、私の右手に立ち、私の足をもつれさせ、私に向かって滅びの道を築いた。

30:13 彼らは私の通り道をこわし、私の滅びを推し進める。だれも彼らを押し止める者はいない。

30:14 彼らは、広い「破れ口」から入って来るように、あらしの中を押し寄せて来る。
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ここに書かれた「悪童」を「悪霊」と読み替えても良いと思います。

外敵に対する的な輪が閉じられておらず、どこかに「破れ口」があるなら、そこから悪霊が侵入してきます。

このことは、私たちの場合も同じです。

時として私たちは、アブラハムと同じように、失敗を繰り返す者ではないでしょうか?

その理由は、どこかに「破れ口」があるのです。

「霊的な輪」が閉じられていないのです。

ですから同じ失敗を繰り返します。

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第二ペテロ 2:22 彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」とかいう、ことわざどおりです。
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アブラハムの「霊的な破れ口」は、いったい何であったのでしょうか?

答えは、「人に対する恐れ」です。

アブラハムは人を恐れたので、サラを自分の妻と偽りました。

彼は神様を恐れていましたが、それ以上に人を恐れていたのです。

彼が本当に神様を恐れていたのであれば、人を恐れる恐れから解放されていたでしょう。

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箴言 29:25 人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。

マタイ 10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
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つまり、まだまだアブラハムの信仰は幼く訓練が必要であった、ということです。

アブラハムが訓練を受けて、神様への信頼がさらに増し加わっていけば、人を恐れる恐れから解放されて「霊的な破れ口」は完全に閉じられるでしょう。

このことは、私たちに対する教訓です。

私たちもまた、自分たちの「破れ口」が何であるかを神様に教えていただかなければなりません。

そのために私たちはどうすれば良いのでしょうか?

最後に、そのことを学びましょう。


<いつも輪を完全にして>

「破れ口」の問題に関連して、私が以前から度々引用していますコーリー・テンブームさんの証を、皆さんにご紹介したいと思います。

内容は、「いつも輪を完全にして」です。


コーリーさんの知人に、ヤンという青年がいました。

ヤンはしばしば悪霊の力に捕らえられる青年でした。

コーリーさんは、イエスの御名によってヤンの中から悪霊を追い出すのですが、すぐまた戻って来るのです。

本から引用しましょう。


「神様はキリスト者が光の中を歩むならば、イエス・キリストの血がすべての罪からその人を聖めてくださると教えています。

つまり、その人の命を隙間のない輪にして、外部からのあらゆる暗闇の力から守ってくださるのです。

けれども…。」

次に書かれていることが非常に大切です。

「けれども、もし告白しない罪があるなら、命の輪には隙間があるのです。

つまりギャップ、破れ口ができるのです。

そしてこれが、暗闇の力が返ってくる元になるのです。

私がヤンから悪霊を追い出すことができたにもかかわらず、それはまたいつのまにか、この輪の隙間から、ヤンの告白しない罪の隙間から忍び込んでいたのです。

けれども、ヤンにその罪を告白するように導いたところ、輪の隙間は閉じられ、暗闇の力は、もう返ってくることができなくなったのです。」


いかがでしょうか?

罪の告白、すなわち「悔い改め」こそ「霊的な破れ口」を閉じる秘訣なのです。

そのために私たちは、自分が気づいていない罪について知る必要があります。

その罪をイエス様に教えていただいて、心からの「悔い改め」をすることです。

「悔い改め」によって、私たちは「霊的な破れ口」を閉じることができます。

それ以後、悪霊が侵入してくることは無くなるでしょう。

ですから私たちは、いつも「心からの悔い改め」をして、「霊的な破れ口」を閉じていたいものです。

ハレルヤ!



※過去の学びはこちらで読むことができます。

<ローマ書学び>
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<ヤコブ書学び>
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<第一コリント学び>
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<マタイ伝学び>
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<ルカ伝学び>
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<新・創世記の学び>

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