◆【今朝の学び】「真理に属する者」第一テモテ 6:7-12

今日は第一テモテ6章から学びをしましょう。

テーマは「真理に属する者」です。

その前に前回の復習をしましょう。


<前回の復習~金銭を愛することが、あらゆる悪の根>

前回は「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」というテーマで学びました。

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ルカ 6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

6:11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。

6:12 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。
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ここには「金銭を愛することが、あらゆる悪の根である」と書いてあります。

お金を愛すること、つまり拝金主義は、悪魔崇拝の一種だからです。

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ルカ 4:5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、

4:6 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。

4:7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」

4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」
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実際に、悪魔は世界の金と富を握っています。

ですから、人々が金を愛する時、悪魔はお金を通して「マモンの霊」を送り込むことができるのです。

もちろん、私たちが生きる上にお金は必要です。

でも、それを愛してはいけない、ということです。

イエス様は私たちに、「どちらかを選びなさい」とおっしゃっています。

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ルカ 16:13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。

あなたがたは、神にも仕え、また富(=マモン)にも仕えるということはできません。」
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私たちは、どちらに仕えているでしょうか?

神様でしょうか?

それとも、「この世の富」(=マモン)でしょうか?

「この世の富」、すなわちマモンは悪霊であり、「この世」は悪魔が支配しています。

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第一ヨハネ 5:19 私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。

5:20 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。

それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

5:21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
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この世は悪魔が支配していますので、人が悪魔を拝めば悪魔の好意が得られ、この世の富が渡されます。

その証拠に「私がこれと思う人に差し上げるのです」と言っています。

悪魔が「これと思う人」ですから、その人は「悪魔に見込まれた人」です。

全世界で悪魔礼拝をしている悪しき人々とは、そのような者たちです。

何と恐ろしく、おぞましいことでしょうか!?

ところが、もしクリスチャンが、この世の欠乏におびえ、心配するなら、悪魔に膝をかがめることになるのです。

「あー、心配だ。今月はどうなるのだろうか?心配でたまらない。」

そのようなクリスチャンは、「この世」に体半分、属していることを知らなければなりません。

しかし私たちが神様を第一として、「御子のご支配」に属しているなら、何の心配もいりません。

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マタイ 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
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先ほど読んだ第一ヨハネには大切なことが書かれていました。

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第一ヨハネ 5:21 子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。
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私たちクリスチャンは、マモンに膝をかがめてはいけません。

エス様は、はっきりと語っておられます。

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ルカ 4:8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」
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主を第一とする結果として、私たちの必要はすべて満たされます。

必要なお金は「下から」ではなく「上から」来ます。

すなわち「悪魔から」ではなく、「神様から」必要な富を任されるのです。

ですから私たちは、イエス様だけを拝み、この方に仕えて歩みましょう。

今日は、この続きを学びましょう。


<真理に属する者>

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第一テモテ 6:13 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。

6:14 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。
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しばし、これらのみことばを味わいましょう。

非常に深いことが書かれています。

では、順番に読んでいきます。

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第一テモテ 6:13 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。
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まず、「すべてのものにいのちを与える神」と書いてあります。

イエス様は、すべてのものに「いのち」をお与えになることがおできになります。

それは、イエス様が生殺与奪の権を握っておられる「主権者であられる」ということです。

「イエス様は我々の主権者」、このことをまず押さえておきましょう。

そして「ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされた」と書いてあります。

イエス様は、かつてポンテオ・ピラトと次のようなやりとりをされました。

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ヨハネ 18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。

「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。

18:38 ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。」
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イエス様は、はっきりと語られました。

「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」

「真理」とは、もちろん、イエス様ご自身です。

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ヨハネ 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
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そのように、真理そのものであられるイエス様に、人間が「属する」ことが大切です。

「イエス様に属する者」はイエス様の声に聞き従います。

そのことは、「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」と書いてあった通りです。

この点に関して、ピラトは中途半端な者でした。

ですから「真理とは何ですか?」という問いを発していながら、その答えを聞かぬまま、外に出て行きました。

ピラトは「私は、あの人には罪を認めません」と言っておきながらも、彼はユダヤ人を恐れました。

そして最終的に、ピラトはイエス様をユダヤ人たちに引き渡してしまったのです。

つまり、「ピラトは真理に属していなかった」ということなのです。


ひるがえって、私たちはどうでしょうか?

第一テモテから、次のみことばを読みましょう。

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第一テモテ 6:14 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。
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「私たちの主イエス・キリストの現われの時まで」とは何でしょうか?

これは、「携挙の時まで」ということです。

その時まで、真理に属する者、つまりイエス様に属する者は、イエス様のご命令に聞き従って歩むのです。

そして、「聞き従うべきイエス様の声」とは、ずばり「みことば」です。

みことばに従う結果として、はじめて私たちは、「傷のない、非難されるところのない者」とされます。

そして、携挙の時には天に引き挙げられるのです。

ですから、教会で良く言われるように、「すべてのクリスチャンが携挙にあずかる」というわけではありません。

携挙で挙げられるのは、あくまでも「みことばに従う者だけ」です。

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ヨハネ 14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
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私たちは、もちろんイエス様を愛しています。

でも、「イエス様を愛する者は戒めを守る」と言われて、「うーん」と困ってしまう人もおられるでしょう。

しかし、大丈夫です。

みことばに完璧に従うことは、生まれつきの私たちには不可能なことなのです。

でも、だからこそ「助け主」が私たちに遣わされました。

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ヨハネ 14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
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このお方が、「大丈夫、わたしがするよ。任せなさい」とおっしゃっています。

聖霊様は、私たちを助けてくださり、みことばに従うことができるように導いてくださいます。

ところが、ここで私たちは迷ってしまうのです。

聖霊様は「右だ」とおっしゃるのですが、私たちは往々にして、「いや、左に行きたいです」と思ってしまいます。

ここが私たちの明暗を分けます。

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ローマ 8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
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この14節を、じっくりと見てみましょう。

14節を逆に読むと、「神の御霊に導かれない人は、だれでも神の子どもと呼ばれません」ということになります。

そうなのです。

問題は、「聖霊様ではなく、自分の思いに従いたい」、という信者があまりに多い、ということです。

ところが、それこそ「真理に属さない者」であり、みことばに従わない者となってしまいます。

せっかく「助け主」であられる御霊様が来られたのに、「肉に従って歩みたい」と切望します。

「いや、今は、そのみことばに従いません。

私は、とにかく、あれとこれとをしたいのです。」

と言って、自分の肉に従います。

たとえば、「あの人だけは絶対に赦さない」とか、あるいは「この罪は手放したくない」という態度です。

私たちは、それらのことを「小さなこと」と考えてはいけません。

それは、「イエス様の主権を認めない罪」であるからです。

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第一テモテ 6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。
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神は祝福に満ちた唯一の主権者であられ、私たちの王、そして主であられます。

ですから、いつも言っています通り、私たちの心の王座から、私たちの肉を追い出さなければなりません。

そして、聖霊様が私たちの心の王座に座っていただかなればなりません。

私たちが、肉ではなく、聖霊様に導かれるなら、私たちは自然に、みことばに従う者となります。

イエス様のお迎えは極めて近いです。

Jesus Is Coming Soon!


ですから私たちは、イエス様の警告を真っ直ぐに受け取りたいものです。

イエス様は、次のようにおっしゃっています。

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マタイ 7:13 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
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「狭い門から入る者はまれである」とイエス様は語っておられます。

いかがでしょうか?

つまり、携挙にあずかる者は「まれ」なのです。

私たちは、みことばに気を引き締めなければなりません。

そのために「イエス様の主権」を認め、肉を心の王座から追い払うこと。

そして「助け主」なる聖霊様にお頼りして、残された日々を歩みましょう。

ハレルヤ!


※いよいよ第一テモテの学びも、次回で最終回です。

過去の学びはこちらで読むことができます。

<ローマ書学び>
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<ヤコブ書学び>
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<第一コリント学び>
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<第二コリント学び>
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<ガラテヤ書学び>
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<エペソ書学び>
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<ピリピ書学び>
http://skunjp2.blog.fc2.com/blog-category-40.html
<コロサイ書学び>
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<第一テサロニケ学び>
http://skunjp2.blog.fc2.com/blog-category-43.html
<第二テサロニケ学び>
http://skunjp2.blog.fc2.com/blog-category-44.html
<第一テモテ学び>
http://skunjp2.blog.fc2.com/blog-category-46.html

( ̄□ ̄;)!!まじか!

マモン悪霊か!

生活にはおかねがかかるけど、

偶像にもなる。 

神の第1にしてないよね。

心当たりがありすぎてこまる。

障害者年金お小遣いなんて成年後見制度でおもっていた。自分後恥ずかしいわ。(ノД`)

法が私を守るというのもわかるような

 

へりだりって大切だな。



 

みみがいたくても聞かないと思った



[ピリピ人への手紙 4:4,5,6,7,8]


 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。


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詩篇 119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。