切ない
今月、伯父が他界した。2月に、もう一人の伯父も他界した。従姉から連絡を受けたのだけど、火葬場は混雑しているし葬儀場も混雑している。こんなご時世だから万が一コロナに感染したら大変だから車で来られる人以外はお断りしているとの事だった。私は来週手術を予定しており、もし感染したら手術はお断りする可能性がある旨の連絡が病院からあった。伯父の顔を最期に見に行くべきか、伯母に挨拶しに行くべきか悩んだ。悩んでる場合じゃないのは分かってる。本来なら馳せ参じるべきであろうし、そうしたかった。他県に電車で移動するのも怖いし、葬儀場は高齢者が沢山集まる場所なので私が保菌者だとしたら高齢者にうつす可能性もある。いずれにせよリスクが高いし、そこでクラスターが発生したら悔やみきれないと思いお悔やみを伝えに行くのは遠慮した。(従姉曰く基本的には皆さんお断りしているとの事だった)申し訳ないと思うのはお世話になった従姉を励ましに行けない事。そして、何より伯母の痴呆が進んでいて直近の事を忘れてしまう事が何より辛いと思った。せめてお供えだけでもしたいと思い伯父が好きな甘味を送った。デパートが軒並営業自粛しているので困った。しかし、デパートのオンラインショッピングに助けられた。伯母から着信があって(送付伝票に記載されている電話番号見てかけて下さったみたい)折り返したけれど、直ぐに私が誰か分からなかったみたいで、「あやこです。伯母さんお元気ですか?」と言うと「ごめんなさいね。呆けてしまって…」の返事だった。伝票に自分と同じ名字が書かれているから親戚だと察してはいるのだろうけど伯母に思い出してもらえない事、それ以上にその状況で電話かけて下さっている事が嬉しくもあり切なかった。一番辛い時に寄り添えなくて申し訳ないと思う。そんな中、伯父が好きな甘味を今頂いていると伯母が喜んでくれた事が幸いだと思った。故人と同じものを食すのも供養だと思う。生きていてもそう。同じものを食べて「美味しいね😊」と言えるのが幸せな事で、共有している感覚と時間を持つことが出来る。受話器の向こうから伯母の「ありがとうね。遊びにいらしてね」の声が聞こえる。私の方こそ感謝である。こんな切なく複雑な思いは初めてかな。父の代理で出席すべきで考える余地などないはずなのに。決断するのに悩んだのは生まれて初めてでした。今後コロナ感染拡大て私の様に弔いに行きたいけど行けない。お見舞いに行きたいけど行けない人が出てくると思う。参列者全員のリスクを考えて欲しい。日本は義理を考える文化があるけれど、今はコロナが収束してから。辛い思いをする人が少なくなる事を祈りつつ。