他人の不幸は蜜の味といいますが
私の不幸話です。

去年のこと、私の母が、腰の骨を痛めて、しばらく寝たきりになってしまいました。
83歳の父が看病をしていました。

父には、間質性肺炎という持病があるので、私も手伝いに行きたかったのですが、

両親は関西住まい、私の家族は、関東住まいなので、そう簡単にはいきませんでした。

父は、咳が出始めて、38度の熱が出ても、私に心配かけまいと、黙っていました。

そしたら、母が倒れてから役2週間後、早朝6時にうちの電話が鳴り、父からの電話。

もう、息が苦しい、助けに来てくれないか、今から病院に行ってくると言って、父は病院に行き、そのまま、入院してしまいました。

私は、父からの電話をもらったあと、すぐに荷物をまとめ、大阪の実家へと向かいました。

関東の家に、社会人1年生の長男、高校3年生の次男、主人を残して。

それから、母の世話、入院した父の病院通いと忙しい日々が始まりました。

父は、間質性肺炎が相当悪化しており、余命1週間と言われました。

でも、なんとか、生き延びたんですよ。

その後も、夜中の3時に病院から電話がかかってきて、タクシーで病院に向かったり、

大変な毎日が続きました。

その後、父は、何度も、今夜がヤマだと言われながらも、今も、入院して、寝たきりですが、
生き続けています。

父の生命力には、感嘆しています。

でも、我が家の次男は、少し不登校気味だったのですが、私が励まして、なんとか学校に行っていました。

でも、私が急に大阪の実家に行ってしまったので、精神的に不安定になり、まったく高校にいけなくなりました。

精神的に追い込まれ、死のうとしたそうです。

でも、死ねなかったんだと、後で泣いて打ち明けてくれました。

数か月後、母の腰が大分よくなり、ひとりでも生活できるようになり、私は、関東のわが家へ戻ってきました。

でも、次男は、顔色も悪く、学校へも行けず、ひきこもりになっていました。

そして、そのまま、高校を中退してしまいました。

次男から、お母さんが、あの時、大阪に行っていなかったら、あのまま、なんとか高校へ通って、卒業できたと思うと言われた時は、悲しかった。

ママ友から、次男の友達の大学が推薦で決まったと聞いた時も、辛かった。

卒業式の日も、辛かった。

主人とふたりで、泣きました。

卒業だけは、させてやりたかった。

ごめん、ごめんと。

でも、死なずに生きていてくれたこと、犯罪を犯して、ほかの人に迷惑をかけることだけはしなかったので、不幸中の幸いだと思いました。

その後、次男は、高校卒業の認定試験に挑み、合格を勝ち取りました。

春になり、予備校に通い始めたのですが、授業が難しすぎて、ついていけないと、言って、
また、予備校も通えなくなりました。

予備校も中退しました。

今は、宅浪中です。

今日届いた模擬テストの結果は、

時間がなくて、志望校が、書けなかった。。。。。とのこと

しかも、模擬テストの結果は、平均点以下、、、、と散々なものでした。

次男の将来を考えると、心が暗くなります。

こんなんで、大学に合格できるんやろか?

大学に合格できても、ちゃんと通えるんだろうか?

無理して大学行かなくてもいいやん、専門学校や、働く道だって、あるのだからと言っても、
いやだ、大学に行くの一点張り。

自信がなくて、自己否定ばかりしていて、そのくせ、プライドが高い。
コミュニケーション能力が低い。

優しい子なんだけどね。

長男は、高校のとき、推薦で大学に合格し、順調に就職も勝ち取り、順調な人生を送っていくのだろうと思っていました。

でも、就職した会社で、毎日、怒られてばかり。

同じミスを何回もする。
注意されても、何回も、またミスをしてしまう。

長男も、ノイローゼ気味になり、死にたいと言い始めました。

パソコンで症状を調べたら、なんと、発達障害の可能性が。。。。。。

病院で診てもらったら、2種類の発達障害があることがわがりました。

病院で、ストラテラというお薬をもらって、3ヶ月経ちましたが、ほとんど、効き目はありませんでした。
今度は、コンサータというお薬が出されました。

コンサータは、割と効いたようです。

発達障害のことは、会社に相談し、薬を飲めば、普通に仕事ができるということを、理解をしてもらえました。

今も、長男は、同じ会社で働いています。

今年の春の査定は、「B」(普通)でした。

でも、長男は、「普通」と評価してもらったことが、何よりもうれしく、涙が出そうになったと言っていました。

不幸話を書いていたつもりですが、むっちゃ不幸でもないか。。。。。。。

みんな、それぞれ、頑張っています!!!