発達グレーゾーンの息子が、昨年小学校入学と共に特別支援学級(以降、支援級)と放課後デイサービスに通うようになりました。

普通級か支援級か、悩みに悩んで、学区内の小学校の支援級にお世話になることを決意。

支援級と放課後デイサービスにお世話になって、大正解。小2の春を不登校にならず、小学校も放課後デイサービスも大好きな息子と共働き続けたまま迎えられました。息子の発達にも、共働き継続にも、普通級+学童だったら、我が家は親子で小1の壁にぶち当たって砕けていたと思います。

今回は息子の療育経緯を記録します。個々の出来事については、今後書いていきたいと思います。


【息子の療育経緯】

息子、8ヶ月にて保育園入園。

3歳児検診で、発語が少ないことで引っかかり、気になるならと療育支援センターを紹介される。それまで保育園からは特に問題視されず、診断等のすすめはなかった。

発達検査を受け、およそ1歳分の発達遅れが見られ、知能指数は70前半と判定。

児童相談所で再度検査を受けるも、診断結果は概ね変わらず、療育手帳デビューを果たす。ここで担当のソーシャルワーカーさんがつく。

5歳までの間は半年に一回、療育支援センターで児童精神科医の診察を受ける。並行して、聴力障害がないか、検査したが、聴力は異常なし。

5歳の療育手帳更新で再度発達検査を受ける。前回より成長は見られるが、8ヶ月程度の発達遅れが見られる。知能指数は70後半と判定され、療育手帳対象外となる。グレーゾーンデビューする。

まとまった時間は座位の姿勢維持が難しく、また手先の不器用さが見られる為、月1で作業療法を受ける。

作業療法の成果で、座位の姿勢もよくなり、鉛筆や箸も上手に使えるようになった。

年長の4月、自治体開催の療育支援センターに通う子どもの就学向け保護者説明会に参加。療育支援センターの児童精神科医からは、フレキシブルに通級可能であるし、支援級に通う児童は問題なく申請が通る放課後デイサービスは、学童より手厚いからと支援級を勧められる。私(母)は支援級でほぼ心が固まるも、夫(父)は普通級で皆と一緒がいいのではと決めきれず。

6月、教育委員会の担当者と面談。

7月、教育委員会による小学校模擬授業を受け、子どもの様子から、普通級に通うことは可能と思われるが、支援級の少人数による丁寧な関わりでよりよい成長が見込めると思われるとのコメントをいただく。

9月、学区内の普通級と支援級を夫婦で見学。支援級の先生と面談。夫も支援級へ心が傾くも、息子本人に見学させて、本人の意見を聞いて決めたいと言う。

再度夫婦で息子を連れ、普通級と支援級を見学。支援級の先生が息子との作業や遊びの様子を観察してくれ、教育委員会の模擬授業と同様のコメントをいただく。

息子本人が普通級でなく、支援級がよいと言った為、支援級に進学することを決定。

11月、就学前検診。支援級進学予定の為か、特に指摘なし。

12月、療育支援センターのソーシャルワーカーさんから紹介された放課後デイサービスを夫婦、息子で見学。仮契約申込み。

1月、放課後デイサービス支給申請。

3月、怒涛の卒園と入学準備。放課後デイサービス支給通知。本契約締結。

小1 4月、小学校生活開始。支援級と放課後デイサービスの手厚さに助けられる。毎日保育園乳児クラス並の連絡帳をやり取りする。面談もやると一回1時間以上。息子は支援級の友人とトラブルで一回行き渋るも、先生のサポートで持ち直し、楽しく日々を過ごす。登校班がない為、夫が登校付き添い。

2月、国語、算数が普通級より早く終わる。

3月、支援級担任から勉強は問題なしとコメントをいただく。将来の進路(具体例には中学受験をするか、高校受験にするか)についてのお話がある。遠いと思ってたことが意外と遠くないことに気づき、色々調べ始める。息子は小学校と放課後デイサービスに楽しく通う。

小2 4月、支援級担任変わらず、うれしい誤算。中学受験にするか、高校受験にするかなど、色々調べ始めて沼る。⇐今ここ


【うちの小学校の支援級】

・知的/情緒の区別なし。

・体育、音楽、図工、学活などは普通級で受ける。

・通級は融通が効く。支援級に籍を置いたまま、普通級で全ての授業を受けている子もいる。教科ごとの通級も可。

・休み時間、支援級に普通級の子が日常的に遊びに来る。外遊びも一緒にしている。