来月、COBRAのAscensionWSの開催が東京で予定されておりますが
そのような中、光の勢力側と相談して
以前から気にはなっていたものの
まだ行けてない場所に行ってまいりました。
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渋谷区幡ヶ谷
『牛窪地蔵尊(正徳元年建立)』

この地はかつて牛を使って最も厳しい牛裂きの刑という両足から股を引き裂く
極悪人の酷刑場の地でありました。と、同時に
幡ヶ谷地方の雨乞い行事の場所という側面もあったようです。
又、宝永より正徳年間にかけてこの地に悪疫病がはやり
これが罪人の霊のたたりだと伝えられ身代わり地蔵として建立(1771年)された後
昭和45年5月甲州街道の拡幅により約18m後退した当地に移転しました。
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牛窪地蔵尊から北西方向に歩きます
『一本松の庚申塔』
中野区南台『多田神社』
鎮守府将軍 多田満仲公
第56代清和天皇の御曽孫多田源氏の祖神で、
満仲公の偉勲は源氏一族の御祖神として讃えられ、
寛治6年(1092年)祈願達成の報賽として大宮八幡宮に神鏡を献じ、
別当宝仙寺を建立すると共に大宮八幡宮造建の時の八幡宮神供の雑色料の地である
この地に、日頃淑敬する満仲公の祠を建てたところ
雑色村の鎮守社として住民に崇敬せられてきたということが
「武蔵名勝図会」に記されているのだそう。
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根津駅から”根津遊郭跡地”を抜けて”根津神社”へ向かいます。
昔ながらの木造建築が残っていました。
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文京区『根津遊郭跡地』
江戸時代前期の1706年、根津神社の社殿新造のため集まった大工や左官ら職人相手の居酒屋ができ、女性に接客させるようになった。
それが私娼の集まる岡場所(非公認の遊廓)となった。
幕末の慶応年間に江戸幕府陸軍奉行の許可を得て遊廓が建設され、徐々に繁昌した。
だが元々は年限を限って許可された遊廓であり、1888年(明治21年)6月末日をもって撤去され、当局は洲崎において営業を継続するものにこれを許可した。
翌日の1888年(明治21年)7月1日、遊郭は
1887年(明治20年)5月の埋め立てにより、深川区に編入された土地であった
洲崎(現・東京都江東区東陽)に移転した。
洲崎遊廓は、洲崎弁天町一丁目・二丁目にあり、遊廓の敷地は5万坪であった。
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『根津神社』
舞殿
文京区の無形文化財に指定されている社伝神楽「三座ノ舞」などが奉納されます。
楼門(重要文化財)
江戸内の神社の楼門で唯一残っているもの。安置してある随身の向かって右側は水戸黄門だと言われています。重要文化財7棟全て本物の漆塗りです。
透塀
唐門(重要文化財)
両妻側に唐破風のあるこの形式を平唐門と言います。
現在は残っていませんが天井に墨絵の龍が描かれてありました。
(拝殿はこの奥なのですが、”この先撮影禁止”という看板がありました)
御祭神
須佐之男命・大山咋命・誉田別命
相殿 大国主命・菅原道真公
今から千九百年余の昔日本武尊が東夷征定の途次、武神須佐之男命の御神徳を仰ぎ
千駄木の地に創祀したと伝えられる古社。
文明年間(1469~87)には太田道灌が社殿を奉建しています。
神仏習合の時代には、根津権現社と呼ばれ、御祭神素盞烏尊(本地:十一面観音菩薩)、相殿に山王大権現(本地:薬師如来)、八幡大菩薩(本地:阿弥陀如来)を祀り、根津三社大権現と呼ばれていました。
現在地は江戸時代、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の三男、六代将軍家宣の父)の山手屋敷であり、のちに六代将軍となる綱豊(家宣)の生誕の地でありました。
五代将軍徳川綱吉が兄綱重の子綱豊(家宣)を養嗣子に定めると、
家宣の産土神である根津権現社にその屋敷地を献納、現在の社殿を奉建し、
宝永3年(1706)千駄木の旧社地より遷宮、永代社領500石を寄せています。
森鴎外碑銘水
日露戦争戦勝記念に陸軍軍医監だった森林太郎(森鴎外)が戦利砲弾を奉納した時の台座を転用したもの。この直径のロシアの大砲の弾が乗っていたが戦時中の金属供出でなくなっています。正面には「我武維揚ワガブコレヲアグ」と刻まれています。
千本鳥居
乙女稲荷に通じる参道
乙女稲荷へ続く参道の途中に...
徳川家宣公胞衣塚
境内は徳川綱重の下屋敷跡で、綱重の子綱豊(六代将軍家宣)がお生まれになり、
その家宣の胞衣(胎盤)を収めた場所がありました。
乙女稲荷
池を見下ろす舞台造り。祠は穿たれた穴の中。古い記録には穴稲荷とあります。
根津遊郭の遊女たちが詣でていたと伝わっているそう。
塞大神碑
悪疫が入らぬよう道を守る神で道祖神とも言われます。駒込追分の一里塚に立てられていたもので、道路拡幅の際、根津神社へ遷されました。
庚申塔
暦の庚申の日の夜に集まり寝ずに夜を明かす、江戸時代に流行した民間信仰があり、道の辻などに塔が建てられました。道路拡幅の際、根津神社へ遷されたものです。
駒込稲荷
根津神社が千駄木村より遷座する以前、
この地が甲府宰相徳川綱重の下屋敷だった頃の守り神だったそうで
屋根には葵のご紋が残っています。
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”根津遊郭”の移転先、江東区東陽『洲崎遊郭跡』に行きました。
洲崎神社
ご祭神 市杵島姫命
洲崎遊郭と縁の深い神社で、御神体は弘法大師作だそうです。
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洲崎遊郭跡
洲崎(現・江東区東陽)は元禄年間(1688年 - 1704年)に埋め立てられた土地であり、
古くは「深川洲崎十万坪」と呼ばれた海を望む景勝地であった。
明治21年(1888)、1958年の売春防止法成立まで吉原と並ぶ都内の代表的な遊廓が設置され、特に戦後は「洲崎パラダイス」の名で遊客に親しまれた歓楽街で、
三浦哲郎の小説『忍ぶ川』の舞台として知られる。
かつて洲崎遊郭の唯一の出入り口となる洲崎橋があった洲崎橋跡地の碑
東陽一丁目第二公園
公園内にある洲崎遊廓追善供養歌碑
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ここから更に足を延ばして潮見へ向かいます!
南開橋を通り過ぎたところでオブジェ↓が目に飛び込んできました!
松本 哲哉氏作「Persona抄」
車庫...ですかね?
到着です!
ビルの地下一階に鎮座している
江東区潮見『潮見龍宮社』
こちらの神社では1時間に一回、五分間、
スモークが出て雲海の中でお詣り出来る演出があります。
私が訪れた時に、運良くその演出が始まり、写真はその様子です^ ^
また、奄美大島 佐仁 厳島神社や加計呂麻島 瀬武 高千穂神社の修復も
行っておられるようです。
こちらの神社は運河に面しているので、
参拝後に巫女さんに案内して頂いき、帆の無い古代の舟に座って
暫く、運河を眺めていました。
この時も、スモークが出てきまして、
不思議で心地よい時間を過ごさせていただきました![]()
参拝後に巫女さんから土産が頂けます![]()
そして、私がブログをやっていること
こちらの神社を紹介させて頂くことをお話したら
とても喜んで下さってました![]()
お祓いしてあるそうです🐉
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沢山歩いてので休憩です~![]()
フレンチトーストの専門店
Raporu Tokyo
季節限定メニュー
桃のフレンチトーストを頂きました🍑![]()
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