幾つかの異なる光を携え
光の勢力に導かれるまま、お散歩しておりますが
先週、東京では最高気温37度という日がありまして
そろそろお散歩も夏休みにに入ろうかな...とも考えております。
いつもワンコにお留守番を頼み、お散歩に出かけている私ですが、
今回はちょっと頑張って、いつもより遠くに行きました!
以前、上総の国の國府惣社や国分寺跡には行きましたが
私が下車しない駅のホームに
”とある神社”さんの看板が掲げられているのを車内の窓から見ました。
その看板を目にした時、急に”ドキドキ”して
全てが整った時にその神社を訪れることになるだろうという予感はありました。
そして私の予感通りに、私専属の光のお散歩チームにより全てが整えられ、
特急に乗って出かけてきたのが今回のお話です^^
事前に調べたところでは、今回のお散歩先では
いつもの”Caféで一休み”...は期待できなかったので、
特急の中で”早お昼”することにしました
ある意味遠足気分ですね!
を食べ、を食べ、お菓子も食べました!
そんなこんなで最寄り駅に到着です!
目的地の神社まで、ここから徒歩10分弱といったところでしょうか。
構図が少々違いますが、私が光と一つになる前↑と後↓です。
分かる方にしかわからないかも?
因みに、以下の写真全て、私が光と一つになった後に撮影したものです!
一之鳥居をくぐります。
御神水がありましたので飲んでみました。
鉄分が強い温泉水みたいな味でした。
二之鳥居(写真奥)をくぐります。
左側には境内社があり
右側に手水舎
手水舎、すごかったです!
しばらく眺めてました
その奥にさざれ石がありました。
そして正面です!
この日は鳥居の修理が行われていました。
とても風格を感じさせる鳥居に感動して、
ここでも足を止めて暫く観察してました 笑
修理中の鳥居をくぐり社殿へ向かいます。
拝殿の右側は
(多分、こちらも拝殿の右側だったような( ̄▽ ̄;)
社殿の左側には
芭蕉の俳句や
末社があります。
また、境内には”はだしの道”なるものがありまして、
参拝者のみなさんが続々と裸足になり、
私も光のお散歩チームの人からし・つ・こ・く勧められ、しかたなく挑戦することに
三周すると、セントラルチャンネルを
下から上に向かって気がスッと通る感じがしました!
社殿
御祭神
玉依姫命
永禄年間に大きな戦火にかかり、社殿・宝物・文書の多くを焼失したことで、
ご創建の由来等々明らかではないそうですが、
平安時代にまとめられた『延喜式神名帳』では
名神大社としてその名を列せられ、
全国でも重きをおくべき神社として上総国一之宮の格式を保ってこられたそうです。
また、源頼朝の婦人、政子が懐妊の際に安産の祈願をしたそうですよ。
社殿を別の角度から...
土地も含めて神社全体が龍そのもの!...という感じで、
まるで龍の体内にいる感じで
エネルギーもそうですが、
とにかくかっこいい神社さんでした!
プレアデス人からテレパシーで
”かつての私が体現していて、今は失ってしまった
女神に関することを思い出せるから”...と
私に強く勧めた場所がありました。
今回のお散歩、私個人としましては、
その失ったものを取り戻すことが目的でもありました。
ですがその前に行く場所がありました。
その時、私が見ていた地図には、池しか記載されていなかったのですが、
目的地に向かう途中、左に少し行くと池がありまして、
その池のところに弁財天が祀られていると
光のお散歩チームから教えてもらい、
後からちがうMAPで弁財天が記載されているのを確認ておきました。
現地のタクシードライバーの方に行先を告げると
池があるのはご存じでいらしたのですが、
弁財天が祀られているのはご存じなかったようで
”タクシードライバーの自分でさえ、知らないのに
東京から来ている私がどうやって弁財天のことを知ったのか?
こちらの土地に知り合いでもいるのか?”...と
タクシードライバーの方に質問されました。
”テレパシーで教えてもらった”
と伝えるとややこし事になりそうなので
私が、「知り合いはいませんよ^^」
「MAPに記載されていました。」と答えると、
「MPAには記載されてないよ。」と言われるので、
「記載されているMAPもあるんですよ^^」と伝えました。
(嘘はついてない...(^▽^;)
右衛門郭堰にある弁財天です!
(正確には池ではなく堰でした)
タクシードライバーの方には
こんなところに入っていくのか?...と驚かれてしまいました
前々回の”有鹿窟”探検??のお陰でこういう場所にはもう慣れました
それにお社までは木道もちゃんと続いていましたし^^
虫よけしていたのにやっぱり蚊に刺されました
こちらがプレアデス人に勧められた
上総国二宮 橘樹神社
入り口の大きさからすると境内はそんなに広い感じはしませんが...
最後の鳥居↓をくぐるり、目にした光景とエネルギーに
別世界に足を踏み入れたと感じましたね。
境内図↓
御祭神
弟橘比売命
相殿神:日本武尊・忍山宿禰
ご創建は社伝によると、景行天皇四十一年(111)と伝わる。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の手によって
亡き妃である弟橘媛(オトタチバナヒメ)の墳墓を築いたそうで、
日本で唯一、日本武尊の手で創建された神社とされているそうです。
尊が東征中のこと、海神の怒りを鎮めるため、荒れくるう海に弟橘媛が身を投じ
日本武尊は無事に海を渡ることが出来た...という日本神話があり、
古事記には
『七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき。』
と記されているんだそう。
拝殿
本殿
ちなみに本殿は弟橘媛の墳墓の前に建てられています。
弟橘媛の墳墓
ここで私が光と一つになっていた後、
テクタイトを手にして瞑想した時に
プレアデス人の言っていた
”事”が起きました‼
はじめは女神の気配が近づいてくるのを感じ、
彼女が纏っていた、軽くてしなやかな”絹?の衣”が私の両足に触れました。
それが自分が”やってきた”という彼女なりの合図のようで、
彼女はその後、彼女が纏っていたのと同じ衣を私に纏わせました。
すると、かつての私が体現していた意識が戻って来まして、私が
「あ~っ!そうでした...そうでした!思い出しました!
自分が子供の時はこの意識のことを
これが本当の自分の在り様だと知っていて
体現しようとしたけど、
自分を取り巻く外側の世界とのズレとか色々あって
出来なかったんでした!」と女神の伝えると、彼女は
「でも、今ならできるよね」と。
私は女神に「はい」と伝えるとともに、
御礼の気持ちも伝えました。
別の角度から...
その出来事のすぐ後に撮ったのですが、光が写りこんでいました!
境内の様子...
古すぎて字が読めない石碑の数々
境内社「窟戸神社」「子安神社」「稲荷神社」
弟橘媛の墳墓を築くため、土を掘った跡の穴であると伝えられている「吾妻池」
池中央には秋葉神社
とにかく神々しく、繊細、純粋で”凄み”がある神社でした。
お・ま・け
予想していた通り、Caféは見つけられませんでしたが、
江戸時代創業という和菓子屋さんを見つけました!
帰りの車内で頂きました。
白あんのお饅頭でした
(師匠へのお土産にしました)