実際は「人を憎んで…」のケースが実に多い。
最近つくづく考えさせらます。
例えばコミュニケーションにおいて、
「周りの幸せの為」の感情論が実際には
【自己中心的なワガママな行動】である事実に本人が気づいていなかったり。
或いは「よい結果や事実」を必ずしも良いと感じていない事もある、という事。
結局、「感情」か「事実」かの【二極化】している気がします。
ゴルフで言うと、
わざわざ変なスウィングや合わないクラブを使う【不幸】を望む人はいません。
誰でも「良かれ」と思っている訳です。
一方で、客観視した時の【形は事実】です。
レッスンでも「一番気をつけている事」が客観視すると全然ダメ、というケースも。
僕も我が師・後藤先生の生徒ですし、自分自身が一番の「うちのタチの悪い生徒」ですから
「こんなに意識したのにダメなのか…」と結果に凹む事はよくあります。
客観視する【側】は
「事実は事実だから」とバッサリ。
冷静なものですが、
こんな事からコミュニケーションには【ズレ】が生じてきます。
そんな中で、
僕は両者の一元化も二極化も必要ないと考えています。
「良かれ…」の心情に理解しつつ、
結局としての【事実】を認めるか。
これだけだと思います。
どちらも「否定する必要がない」し、どちらかの肩を持つのは危うさを伴います。
クラブフィッティングの現場にもよくあります。
例えば、重いクラブに振り回されているゴルファーに「軽さの要素」のあるクラブを。
【結果】はナイスショット。
スウィングもフラつく事なく、バランスも向上。
しかし、【当の本人】の顔は…。
今までの自分ではなくなったような「違和感」やタイミングや振り応えが変わった事で【好きになれない】事や再現性が低下する事もあります。
一方、見ている方は【事実が全て】と言わんばかりのドヤ顔に。
「気持ち良い=結果も良い」の一元化なら苦労はしませんが、
新しいものや次のステージに上がる時には
「こんな事件」は起き得るものです。
スウィングやクラブを換られない【感情論】を認めつつ、
どれだけ【事実】を受け入れていけるか?
僕の場合は、
クラブやシャフトのギアテストを行う時
或いはスウィングチェックを自ら行う時
自分のフィーリングを信じつつ、一方で
「結果や形」も動画等で確認します。
ギャップが大きい事もしばしば。
スウィングやレッスンなら「良い形や結果」をもっと本人が気持ち良く出来る方法を考えますし、
【感情論】と【事実】の擦り合わせをする事にしています。
発信する立場としては、
自分の感情だけによがりたくないですし。
かと言って冷徹なロボットにもなりたくない。
【感情】と【事実】のコミュニケーションは
「永遠のテーマ」かも知れません。