うららの幼稚園生活スタート | OHIYORI日誌

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3児のハハの子育てお天気報告

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虹5月6日からいよいようららの幼稚園通いが始まりました。

この日が来るのを胃に穴が開きそうなくらい苦痛に感じていたのは母の私のほうです。発作のある病気と障害を持っているうららにとってはどこの集団に入るにも、まずは親が付き添いをして、何かあったときに対応できるようにして慣らし保育をするのが当たり前の時代でした。受け入れ側がOKを出してくれるまではそれは続きます。入園前の話し合いでの約束でした。

私は生まれたての日向を抱っこして何日でも、何カ月でも、通うつもりでいました。いよいよ母子通園の始まりです。

 

虹うららはそれまで大阪でも障害児枠で保育園に通園していて、子どもの輪の中へ入るのは大好きで、お友達を求めていましたので、喜んで通い始めました。でもそれなりにとまどいもあったようで、意気揚々と保育室に入っていくものの、座って先生のお話を聞くことができません。落ち着かず、うろうろ。すぐに我慢の糸がプツンと切れて保育室を飛び出していきます。引き戻そうとしたらかんしゃくを起こして顔色を変えて寝転んで動きません。

私がいることで押さえつけられるような圧迫感を感じているのかもしれません。早く園生活になじませたい母の無言の圧が相当かかっていたのだろうと思います。どうしても集団行動をとらせようとついつい無理にじっとさせたりしていましたので、それがかんしゃくを起こす原因にもなったようです。

 

虹2日目には幼稚園の近くを年少児と手を繋いでお散歩もしました。私はこれにもついていきました。日向は女性の用務員さんがその間だけ見てくれることとなりました。5月とはいえ、天気も良く暑かったので、首も座らぬ新生児に何かあってはと案じていたところで本当に助かりました。

その散歩から帰ったタイミングで、担任の先生から「お母さん、帰っても大丈夫よ。あとは、何とかなりそうよ。」と耳打ちしてもらえたので、少し不安ではありましたが、そのまま帰ることとなりました。

当日はお弁当日だったので、降園が14時過ぎ。うららはお弁当を持っていましたが、私と新生児の日向を気遣ってのことだったのでしょう。その厚意に甘えて帰宅しました。

 

虹3日目。付き添いにトラブル発生。一時預かりに預けていた快晴が熱を出してしまい、休ませることに。それに伴い仕方なくうららも休ませざるを得ない状況になりました。ほかに付き添いをしてくれる人もいないので、さすがに3日目から手放しでお願いしますとはいえませんでした。

 

虹突然お休みを宣言されたうらら。「よーちえんいく!!」と言って駄々をこねます。本当に切ない気持ちでした。うららにとっては納得がいかないでしょう。一応、園には欠席連絡のため電話をしました。担任の先生に厚かましいとは思いましたが、うららが楽しみにしていることを伝え、もし可能だったら半日だけでも預かってもらえないかと無理を承知でお願いしてみました。ただ、先生はいつもと違ってそっけない態度で「いいよ、連れてこられはったら」と低い声で一言。なんだか怒っているように聞こえました。厚かましいことを言い過ぎたかもしれないと、後悔先に立たず。でも、お言葉に甘えて遅めに登園し、早めに降園しました。後から知ったのですが、この日担任の先生は風邪で熱っぽかったそうです。怒ったように聞こえたのは、風邪気味で声が出にくかったためのようでした。知らぬこととは言え、負担を増やしてしまったことを後から猛烈に後悔しました。


虹なんだかんだ言いつつ、4日目。

担任の先生は風邪で欠席しました。申し訳ない気持ちでした。その日は弁当日でしたが、最後の時間まで付き合うつもりでいました。

でも、担任の代わりに保育をしていた主任先生が「いつもと同じ、昼まででいいですよ」と言ってくださり、またお弁当前で帰りました。

主任の先生には、近づきつつある遠足の日の付き添いをなしでもよいかどうかの確認もさせてもらい、承諾してもらいました。子ども3人の母親ともなると厚かましくなるものだと自分でも思いつつ、そうした厚かましい申し出を受け入れてくださる先生方の懐の深さに心から感謝していました。

 

虹5日目の朝。

「もう、お母さん、うららちゃん大丈夫だから。今日から帰ってください。何かあれば連絡するから。」そう言われました。

正直、拍子抜けしてしまいました。5月12日の朝のことでした。

 

虹ずっと後になって保護者の方から話を聞いたのですが、先生方はうららが来る日まで、クラスの子どもたちや保護者の役員さんにも、うららにどんな病気や障害があるのかや、近々3人目が誕生するので、最初は母子通園をしてもらうにあたり、赤ちゃんが一緒に来ること、転勤で初めての土地で知り合いがいないだろうから助けてあげてほしいことなどを話していたそうです。

大阪の保育園でも保護者の方たちのあったかいサポートがありましたが、奈良でもそれ以上に最初から保護者の方たちが優しく温かく迎えてくれる空気がありました。

今なら個人情報保護法でなんだかんだ言われそうですが、私たち家族がスムーズに奈良での暮らしを始められたのはこの素晴らしい園と先生方のおかげだったのです。

(1999.5.23記)