1998年2月21日。うららの通う保育園の生活発表会でした。
うららたちのクラスは、“さんびきのこぶたごっこ”とプログラムに書かれていたので、遊び混じりのゲームかなにかをするのだろうと思っていました。先生に内容をたずねると、『劇とごっこあそびです』となんだかよく分からない返事でした。
まあうららには劇もできないだろうから、ごっこあそびの時にその他大勢で参加するんだろうと思っていました。
1ヶ月くらい前から遊びの中に、3匹のこぶたのニュアンスをちょこちょことりいれつつ、練習していたようです。お迎えの時、そして帰ってからも『おおぱみがおーよ!!』『うらら、うーぶた!』『きゃーたっけてーたっけてー!!』となにがなんだかわけのわからない独り言ばかり。…叫びも含めて一日中やっていました。
いったいどんな演出しているのか、三匹のこぶたの話は知っているけれど、うららの暗号のようなセリフに混乱していました(笑)
まあ、楽しくやっているのだけは分かったので、それでいいかなと思っていました。
かくて…当日。
運動会の時の事もあり、あまり期待もせずに、むしろ出番を間違えたり、他のクラスの邪魔をしないか、親の席に走ってきたりはしないか…イロイロ不安で、ずっとハラハラドキドキし通しでした。
途中で『おとーさんだ!!!』とうららの声が聞こえてきたのですが、夫と二人でなるべく平静をよそおい、知らん顔で通しました。
うららのクラスの出番になりました。
先生が3匹のこぶたのお母さんになり、話を進めていきます。
20人の子供たちを5人ずつグループに分けて、『大ぶた』『中ぶた』『小ぶた』、そして『おおかみ』役に振り分けていました。それぞれが、見せ場を持ちつつ、三匹の子豚のストーリーですすめていきます。
私はまさかこんなにちゃんと劇仕立てにしているとは思っておらず、ましてやうららもグループの一人とはいえ、“役”をもらっているとは思いませんでした。
『大ぶた』グループは、“手先が器用になりました”と、紙飛行機を折って保護者のほうに飛ばして見せました。
そして『中ぶた』グループ登場。
“あっ!うららがでてきた~!出番間違えてるんじゃないのお?ああ~どうしよう!!”と、少なからずあわてていたら、先生が
「うららちゃんは何歳ですか~?」
「4ちゃああ~い!!!」
“…ああ…でばんだったのか…(とりあえず一安心(~_~;))”
うららの元気な返事で我に返った母なのでした(笑)
『中ぶた』グループは、“腕の力もこんなに強くなりました”と、ブリッジをして見せてくれました。下手ながらもみんなと一緒に一生懸命やっているすがたをみて、ああ~よかった~と胸をなでおろしました。…とはいうもののいつ舞台の袖に走り出すのじゃないかとドキドキは続いていました。
この保育園は日々の保育の中でリトミックの指導があったのですが、その音楽の指示で動くということをかなり自然に訓練されてきていたので、多動のうららも楽しい時には、逃げ出すことも少なくなっているようですが…まだまだ油断はできません。
今度はそこへ『おおかみ』グループがやってきました。
同じクラスのもう一人の障碍児ユウジ君はこちらのグループです。
おおかみ「こんな家なんか一息で吹き飛ばしてやるぞ~」(園児達の一生懸命だけど必死で覚えただろう棒読みは笑えます…)
こぶた達「きゃー、どうしよう!」(これも棒読み…(笑))
おおかみ「プププププーウ!」(吹き飛ばすしぐさ)
こぶた達「きゃーきゃーあ!!!たすけてええええ!!」(と、ステージを逃げ回り袖に引っ込む)
うららもユウジ君もたのしそうに、走り回っていました。
みんなと一緒にセリフも言っていたし、目だった行動もせず、クラスメイトと楽しんでいる姿を見て、正直震えるほど、泣きそうなほど、感動しました。運動会の時には、出番を間違えたり、演技が一人だけできなかったりと、親としてはほろ苦い思い出が残る1日でしたが、今日は違いました。
本当にうららがすごく成長したなあと驚きと嬉しさでいっぱいになりました。
そして、劇を最後まで見て、うららが毎日しゃべっていた暗号がこのとき解けました。
『うーぶた』は『中ぶた』のことで、『おおぱみ』は『オオカミ』だったんです(笑)
うらら語の謎解きも含めて、今回の生活発表会は心から楽しめたそんな1日でした。(1998/03/10記)
同じクラスのユウジ君の話ですが…。
彼はうららと同じ病気を持っていましたが、原因も種類も違い彼のほうが症状が重く、よく発作を起こしていました。うららとちがうのは、あまり多動がないということでしょうか。そして、親御さんの都合もあり、まだ障害児として分からなかった1歳くらいからずっとここの保育園に通っていたので、慣れているということもありました。姉と兄がいて、みんなこの園の卒園生と言うこともあり、ましてや、その年のPTA会長も親御さんはされていたので、他の先生方も一目置かれている様子が伺えました。
この親御さんと、本当は親しくなりたかったのですが、年も離れていましたし、忙しい方でしたので、あまり会って話をすることがないままでしたね。うちが転勤で引越しするまで結局…お互い気になりつつも話ができませんでした。残念でした。
この保育園には2年間通いました。
入園は障害児枠で入ったのですが、園がわがはじめての受け入れにとまどわれて、入園した後も先生方といろいろとありました。
でも、保護者の皆さんが、かげながら理解を示してくださって、中には発達相談の先生をしているお方もいらっしゃって、時々声をかけていただきました。
でも、なかなか皆さんに迷惑をかけているという気持ちのほうが大きくて、心を開けずにいました。
ひどい仕打ちを受けいても、文句は基本的に言えない状況でしたから。
最近では様々な子育て支援が進み、一概には言えないかもしれないですが、障害児の親は孤立しがちなんです。
このときもの私もそうでしたね。働いていないのに、子供を預けていることでずいぶん後ろめたさを感じていました。ちゃんと自治体の定める障害児枠で正面から入っているにもかかわらず。
認可保育園とはいえ、私立でしたから、今ほど子育て支援に社会が理解を示しているような時代ではありませんでしたので、とてもイロイロな壁にぶつかりました。
ちょうど過渡期だったのかなと思えるような気がします。
まあ、こんな話を書き出すと長くなるので、おいおい触れていきたいと思います。
