皆様、いつもご訪問ありがとうございます。
早いもので、10月11日に父の四十九日を迎えます。
母は、遺品の整理をしながらも、父の思い出に浸っては泣き、何も進まない毎日を送っております。
父の葬儀が終わってから、葬儀社の方から改めて渡された「死亡届」のコピー。
そこには、目を疑うような内容が書いてありました。
父の死因は、単純に敗血症による心房細動だと思っていましたが、
その敗血症を引き起こした原因が「スティーブンス・ジョンソン症候群」 と、明記されておりました。
初めて、目にする病名に、それからの毎日は、PCとにらめっこでした。
以下、SJS患者会より引用~
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スティーブンス・ジョンソン症候群(皮膚粘膜眼症候群:SJS)は、重症型多形滲出性紅斑(erythema exsudativum multiforme major:EEMM)と同義語とされており、これらの皮膚疾患の中で最も重篤とされているのが中毒性表皮壊死症である。
中毒性表皮壊死症(TEN)は、ライエル症候群(Lyell syndrome)とも呼ばれる。なお、類似症状を示す疾患としてブドウ球菌性TEN(staphylococcal scalded skin syndrome:SSSS)や輸血後の移植片対宿主病(graft versus host disease:GVHD)などがある。
SJSは高熱とともに口唇、口腔、眼結膜、外陰部に高度の発赤、びらん、出血などの粘膜病変が、さらに全身の皮膚に紅斑、水疱、びらんが認められる重篤な全身性疾患である。その多くは薬剤が原因で発症する最重症型薬疹の一つと考えられるが、一部はウイルスや肺炎マイコプラズマ感染に伴って発症する。
TENはほぼ全身に及ぶ広範囲な紅斑、水疱、表皮剥離、びらんをきたし、表皮細胞の全層性壊死性変化を本態とする最重症型薬疹である。原因はほぼ薬剤が原因とされ、SJSから移行してTENに至ることもある。
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8/17に薬害の記事 を書きましたが、それから、あっという間に父の体は・・・・
そう・・・「溶けた」としか表現できないほど、蝕まれていきました。
悩みましたが、父の最期まで頑張った姿を見ていただきたくて、アップさせていただきます。
最初に異変が起きた、次の日、8/14に撮影したものです。
「肝不全」を起こしてると言われて、顔がかなりむくんでいました。
熱は39℃。
唇に、びらんが出ています。
この姿を見て、記事をアップしました。
唇はただれ、黒くなっているのはすべて「血」です。
目の上にも異変が起きています。
体はもう、パジャマを着ることさえ出来なくなっていて。
後頭部もタオルが膿でまっ黄色になっていました。
体はほぼ、70%が火傷状態でした。
もう、角膜まで異変が起きています。
手も握れないほど、焼け爛れていました。
熱は常に40℃を超していました。
私と母は、頬や額を触って、父と挨拶してました。
最初の写真の状態で、すぐに医師が病名を話してくれていれば・・・
すぐに専門病院で、最先端の治療を施していてくれれば・・・
生きていてくれたかもしれない、と、後から知りました。
皮肉にも、死亡届で知った事実でした。
8/17の時点で、病院に
「もっと高度な治療が受けられる病院に転院させるか、すぐにICUに移して欲しい」
と、何度も何度もお願いしていたのですが、
透析と、血小板の輸血があるから、と首を縦には振ってくれませんでした。
この病気に被害者救済制度があると知ったのも、ネットででした。
すぐに、必要な書類をそろえ、病院に診断書を作成してもらうようにお願いしました。
「2週間かかる」と言われた2週間後、病院からかかってきた電話は、
「医師が忙しいので、まだ出来上がっていない。もう少し待ってください」とのこと。
それから1週間経っても、何の連絡もないままでした。
さらに催促の電話をかけても「まだ出来てない」の一点張りでした。
今週10/6の毎日新聞記事 が、病院を動かしました。
今朝、やっと「書類ができあがりました」と、電話がありました。
申請が通るかどうかはわかりません。
ただ、父の死を無駄にしないためにも、出来ることはやっていこうと思います。
100万人に一人の発症をした父。
その中で、死にいたる重篤患者は5%だと聞きました。
宝くじに当たる確率より低いのに。
いつか、誰かの役にたてるのなら・・と、こうして記事にすることを決意しました。
一人でも多くの命が助かりますように。
私たち家族が味わった苦しみが、他の誰にも起きませんように。
長々と読んでいただいた皆様、ありがとうございました。