こんにちは!

セイシュウです。

 

現代の人たちは毎日、

忙しくしていますよね。

 

朝起きたらご飯食べて

子供を学校へ行かせ

出社したら日中は仕事。

 

帰ってからもご飯を作ったり

子供の面倒をみたり…

 

で、就寝…と。

 

のんびりできる時間を確保

することが本当に難しく

なってきていますね。

 

そんな中だからこそ

『合理性』『生産性』といった

言葉や行動をすすめる

風潮にあります。

 

合理的に物事を進めていって

 

『ムダな時間を作らないようにしよう』

 

という感じですね。

 

今はそういった思考を持っている方が

もちろんいいとは思います。

 

しかし、ムダなこととにこそ大事なこと

もあるのではないかと思うことも

あるのですね。

 

そんなことを感じさせてくれる逸話が

世界の英雄であるナポレオンにあります。

 

ある雨が降りしきる日のこと…

 

ナポレオンに「ある役目」を与えられて

いた兵卒が彼の元にやってきました。

 

その兵卒に与えられていた役目とは

『ナポレオンの靴を磨くこと』

でした。

 

ナポレオンはやってきた

その兵卒が当然磨かれた靴を

持ってくると思っていました。

 

しかし、期待とは裏腹にその靴は汚く、

磨かれていませんでした。

 

ナポレオンは顔をしかめながら

その兵卒に尋ねます。

 

「なぜ、靴を磨いてこなかったのだ?」

 

すると、その兵隊はこう答えました。

 

「将軍様、外は土砂降りです。

 

こんな日に靴をキレイに磨いた

ところで、

一歩外にでたら泥だらけです。

 

ですから磨きませんでした」

 

これを聞いたナポレオンは

顔を赤らめて烈火のごとく怒ります。

 

「お前は今日食事を抜きにしろ!

 

またお腹は空くだろうから

 食べるだけムダだ!」

 

叱る言葉が秀逸です。

さすがナポレオンだなと感嘆します。

 

ムダだと思うことをしなかった兵士。

 

それでは食べることも意味がないと

返すナポレオン。

 

非常におもしろいですね。

 

僕にもこの兵士の気持ちはよくわかります。

 

外が雨でしたら

「まぁ、いいか」

と靴を磨くことをしないなんてことは

日常茶飯事です笑

 

確かに、雨の日に靴磨きという

行為をすることは一見、

ムダといえばムダな行為にも思えます。

 

しかし、

 

「靴を磨いたから今日も気合十分!」

 

と晴れやかな気分になれたり、

 

「泥はついているけど、

いい靴を履いているね」

 

と誰かからほめられる可能性も

ありますよね。

 

また、ご飯を食べることも

同様のことがいえます。

 

どんだけ大量のご飯をたべようが

どれだけ美味しいご飯を食べようが 

ナポレオンが言う通りお腹は空きます。

 

そういわれれば食べる時間すらも

合理的に考えるならば

必要ないともいえますね。

 

しかし、美味しいご飯を食べれば

 

「よし!明日も頑張るぞ!」

 

と思えます。

 

更に、食事だけではなく家族と同じご飯

を食べる行為自体に幸福感があったり

するわけですよね。

 

まぁ…極論ですが

 

…1つの見方をすれば

ある意味では人生は

すべてはムダだともいえます。

 

なぜなら結局のところ、

僕たちが何をしようがしよまいが

 

「何やったってムダだよ。

結局死ぬんだから」

 

と言われれば確かにそうだからです。

 

だからと言って

 

「そうだね!

じゃあ生きるのをやめよう!」

 

と言う人はいないでしょう。

 

「確かにそう言われれば

人生は無意味かもしれない。

 

それでも、人生には何かしらの意味がある。

ムダなんかじゃない」

 

そう反論する人が多いのではないかと思います。

 

この問題も本質的には同じことを

言っているわけですね。

 

つまり、

 

『一見すると、ムダだと思っていても

ムダじゃないことなんてたくさんある』

 

わけです。

 

ムダなことを決めているのは…

自分だったり、周りの人だったり

常識だったり、経験則だったりします。

 

そうした情報に惑わされて

「ムダなこと」「ムダじゃない事」を

事前に決めてしまうのは

もったいないことです。

 

行動して、色々経験して得られるもの

もあるはずです。

 

『合理化』

 

 

この言葉に病的に信仰していると

 

「本当はムダじゃないのに

自分ではムダだと思っていること」

 

の数をドンドン増やしていってしまう

可能性もあります。

 

合理化は僕も好きな言葉ですが

それに囚われすぎるのも

仏教でいうところの『執着』です。

 

執着や固執は視野を狭くします。

 

ムダなことをやってみると

新しい世界がやってくる

『かも』しれません。

 

ムダだと思っていたことをやってみると

意外なところで活かせる

『かも』しれません。

 

ネットフリックスは一見

『ムダな延滞料金』をビデオ屋に

払ったことから生まれました。

 

ブッダは一見、

『ムダな時間を苦行に費やした』

ことで悟りを得ました。

 

エジソンは一見、

『ムダな失敗』をしたので

発明王になることができました。

 

ムダなことかムダじゃないかは

解釈次第で変わってくるものです。

 

ムダなことを決めつけるのではなく

心が向いている方向に生きていくことも

大切なことなんだろうと思うのです。

 

・・・・

 

…明日は雨ですかね?

靴を磨いてみます?笑

 

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

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そのお悩みにお答えしたいと思います。


ではまた。