楽天ではこの文章は猥褻ということで載せることができませんでした
何でかな?
食と性
豊かなセックスライフのために
益軒は大藩に仕えている武士であり、儒学を講じる学者であった。当時、れっきとした武士や学者は、性の問題を口に出すということなどほとんどなかった。しかし、民衆の心とからだを真剣に考える益軒は、食とともに人間の二大本能である性について堂々と取り上げ、具体的にその戒めを語るのである。
益軒は『養生訓』の巻頭ですでに「わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜しむべし」ということをはっきり述べている。
そして『養生訓』巻四の最後の項目としてあげられているが「慎色慾(色慾慎む)」である。この「慎色慾」の冒頭に出てくる『素問』は、中国最古の医書『内径』の一部である。東洋医学では腎臓が精液をつくるところと考え、精液を腎水ともいい、この腎水がなくなることを「腎虚」と言った。今日でいうところのインポテンツである。東洋医学では五臓の中で腎臓は脾臓ととも重視されていた。
今日では「精気」ということばは「生気」とおなじように使われるが、益軒が『養生訓』でいう「精気」は「へらす」とか「ついやす」という言い方からして、具体的にいえば「精液」といってよい。このあと性交の回数を説明する箇所で益軒は射精のことを「精気を泄す」という言い方をしている。今日でも精液といい性液といわないのは、精を性をおなじように考える益軒流の伝統的観念によるものであろう。またここで「腎気」といっているのは「性気」といってもいい。益軒は精気をへらさないことと、強壮剤などを使用しないことを力説している。
そして、ここで世俗的に『養生訓』を有名にさせた箇所、つまり性交の回数について、唐代の名医孫 思邈の『千金方』に出ている説を引用して、いちいち数字をあげて解説している。
この説が今日の性医学からみて適切かどうかという議論があるが、益軒も一説として引用したのであろう。いすれにしろ、これらは男性側に立った性養生の話で、女性側に立った話ではない。
益軒はこのあと、『千金方』の「房中補益説」という房事(性交)中の秘術的性交法を紹介している。いわゆる「接してもらさず」という性交法である。益軒がこの秘法を実践していたかどうかはもとよりわからない。ただ、このあと中国の名医といわれる丹渓が孫 思邈の説を避難しているのは間違っていると批評しているから、益軒自身この説にかなり賛同していたと思われる。
この秘法は、性欲にかかわるだけに世俗の関心を集めたことは当然であった。文化九(千八百十二)年の再版本には、石見(島根県)の杉本義篤という医者による補足がつけられているが、その内容は性養生に関するものであり、益軒が言った「精気」の代わりに「精液」という用語を使い、性交法について詳述し、艶本や強精剤に」ついてまで親切に解説している。
益軒が引用した『千金方』の「房中補益説」についても詳しく取り上げ、性交中に射精しないしないためには「交接のあいだはできるだけ静かなのがよい。全身の力をあらくせわしくしないで、男根と女陰を戦わせてはいけない。交接のあいだは気を内にみたし、口から静かに息を吐くようにする」といった方法を述べている。
益軒は性欲をむげに否定してはいない。じつは、益軒は若いころ京都に遊学していたとき、島原の遊女とのあいだにラブ・ロマンスがあったと伝えられている。
このほか、益軒は房事の戒めをこまごまと述べている。たとえば、「大暑」「大風」などのときは「夫婦の事をいむ(避ける)」、「病中病後、大酔」、「つかれたる時、怒り、悲しみ、憂い、驚きたる時交接をいむ」とし、また女子の経水(月経)いまだ尽きざる時、交合を禁ず」と説いている.
この性養生の個所で、おそらく現代人の耳にいちばん痛い益軒のことばは、鳥頭・附子などの強精剤を飲んではいけない、という戒めではないだろうか。
今日、いわゆる強精剤と銘うったドリンク剤などが店頭で無数に販売され多くの人たちが多飲している。強精剤はたとえ一時的な効果はあっても、結果的には精力(性力)を弱めるおそれがある。性生活においても、益軒のいう「自然にまかすべし」ではないだろうか。
益軒の言うように、若いころ性を乱費しない人のほうが、老年になってからの性生活がゆたかでいられるにちがいない。江戸の人たちには益軒流の性養生をしていた人が多かったかもしれない。
たとえば神沢杜口は『翁草』(寛政三、1971年)で、八十歳で隠居した豪農が、その村の十七歳の娘を迎え、男子を一人もうけ、仲睦まじく暮らし、百余歳他界したという話を伝えている。根岸鎮衛の『耳袋』(文化十一、1841年)には、八十六歳で身寄りのなくなった老人が養女として育ててきた十五歳の娘と結婚し、三年後に妻がその老人の子どもを産み、老人はなんと百三十六歳で亡くなった。そのとき六十四歳になった妻は「生涯夫婦のちなみ(交わり)ありし」と言ったという。ことの真相はともかく、江戸の百歳老人のほうが現代人よりはるかにゆたかなセックスライフだったように思える。
超高齢社会の今日、人生の後半においてもゆたかな性生活を送りたい、もしそう願うのなら、若い時にセックスを消耗するのではなくて、益軒の言うように「わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜しむべし」ではないだろうか。