それスマホでググればすぐ出てくるよ、今の時代はもう海外にわざわざ留学する必要がないとかよく聞きますね。その気持ちはよく分かりますし、昔は僕もそう思ってました。ただ、最近は僕がひねくれてきて、大多数の意見はすべて否定したくなってしまいます。

僕の話で言えば、数学を日々ただ苦しいのが快感でやっていますが、数学者の中でもコンピュータをよく使う分野の人たちはもう数学者に仕事はない、という現実があります。言いたいことはわかりますが、やっぱり過去の偉人たちを思い出してみればアインシュタインも高木貞治もオイラーもガウスも計算機を多用したわけではないです。特に、オイラーは息をするかのように生涯計算を続けていたと言います。その人たちの研究成果は今でも重要な位置を占めていますし、それに比べて現代の研究は数学だけに限らず何かつまらなく下らないもので溢れている気がするのです。僕から言わせれば、ジャンクフードと大差ありません。

やはり、アナログ的に潜在能力を全部顕在化させるぐらいの事をしないと、本当に世界を驚かせる研究成果は発表できないと思うのです。これは僕の直感ですが、人は電気で作ったもので驚かない気がします。確かに、科学的にも根拠があるし、腑に落ちるっちゃ落ちるけど、何かぱっと見たときに感じるbit数が浅くなっている気がします。ラピュタを初見で見たときの圧倒的な驚異・奥深さともいえるものがないんです。

僕は実は宮崎駿のことを表現は違えどうまく数学の真の美しさ・世界・風景を絵に写像として落としている人だと思っているのです。僕の中では、宮崎駿は論理飛躍の達人の数学者です。

宮崎駿はスマホはもちろんiPadといった電子機器の事は全く知りません。電車内で人々がスマホをイジっているさまをまるで自慰行為だと言っていました。今はものすごく分かります。何か皆ゾンビみたいにイジっているのです。そして、誰か有名人を見つけたら一斉にスマホを宗教的に皆掲げるわけでしょう?何か世界が段々と絶望的になっているのは間違いない気がします。だから、これからはミクロのさりげない幸せに意識を向けることが幸福の道だと思います。(まあ、幸せは幻想ですが、、)

僕は宮崎駿と同じで、今の世の中に合わせて生きる気はありません。アナ雪なんか日本で流行したときは非常に不愉快になったのを覚えています。ただでさえ、中身のない映画なのに「ありのままの~」とかふざけた歌詞を混ぜてくるあたりさすがディズニーだなと思いましたね。

僕の意見は、ありのままの人間は最低です。
ありのままだったら、そのまま何もしないでも、今のままでもいい事を自分に言い聞かせていませんか?

「ありのままの~」という言葉が心に響くのは自己評価が低い証ではないですか?

ありのままの人間なんて全く持って面白くないですね。努力して、無理して、痩せ我慢して、耐えて耐えまくって自然の摂理の階層性に抗わないと魅力的な人間にはなれないと思うのです。それがそのまま顔に存在感という写像として降りてくるのではないでしょうか。余談ですが、僕は最近のタレントをたまにテレビで見ると愕然とします。何という存在感の無さだろう、と思うわけです。僕はデジタル世界に移行してることと関係があると思っています。何か豊穣なものを失っているのです。

生命力ってそういうことだと思います。どれだけ自分の面倒くさい、やりたくないに向き合えるか。

大分本題からズレた気がしますが、おそらく暗算の達人からしたら、すぐにスマホやパソコンなどの計算機を使ってる人を見て、このぐらいの桁数のオーダーは自分でやれよって思ってるのではないでしょうか?

苫米地博士が、確か数学本でアメリカの超一流の数学者は数字を書くのが下手とか言ってましたが、あれは誤解を与えると思います。決して、数字に触れてこなかったわけではないのです。計算などもかなり演習をして、それなりに数字への臨場感を培った上で捨て去ったのです。

流石に、天文学的な数字の羅列の計算を手計算・暗算でやるのは無理でしょう。デジタルデバイスといったものはそのぐらい極めた上で本来、拡張機能として使うべきなのです。安易に頼って良いものではないのです。

語学もGoogle翻訳に頼ればいいとか言いますが、やはりそのまま喋れたほうが伝達スピードは早いし、脳の活性化の観点からも良いでしょう。

宮崎駿もスマホを捨てろとか言ってますが、まああれはある種の対機説法だと思います。だって、SNSで悪口で凹んで自殺するぐらいなら、いっそスマホなんか捨てたほうがいいでしょう。ガラケーにでもすれば良いんじゃないですか?本来、生きていくためだけならそんなに必要なものは多くないはずです。それに立ち返れば良いという裏の意味があると僕は思ってます。

ただ、宮崎駿は本当に全くいじってないですしアナログじじいです。僕は実はそれをゴールにしてるんですよね。それはある種、情報取得の手段を一つ失うというリスクを背負っていますし、デジタルなんかに負けてたまるか、というエフィカシーの高さもあると思います。実際に、ディズニーが作ったCGアニメよりも明らかに絵として迫力がありますし、宮崎駿や高畑勲の作品の方が普遍性がありますし、後世にも語り継がれるでしょう。

要は、あんまり安易に外注化すると、消費者にのみの活動になり搾取されるから、デジタルを必要最小限に絞り、アナログで面倒くささに耐性をつけたほうが長期的に自分に返ってくると思います。僕はいつかブログも卒業するつもりです(笑)