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国家の品格 part2

品格ある国家とそうでもない国家

一目瞭然也


<品格ある国家>

アメリカ大統領 レーガンの謝罪 1983


戦中の日本人強制収用は誤りと認め、


謝罪と補償の勧告を議会が決議


「それが実際にここで起きたと、将来への警告として

 後世に伝えていかねばならないメッセージである。」


1988年 市民自由法制定


日本政府を介さず

直接被害者と遺族に2万ドルが、

ブッシュ大統領の謝罪文とともに手渡される。

(朝日新聞1990年 1011日)


「金額や言葉だけで

 失われた年月を取り戻し、

痛みを伴う記憶をいやすことはできません。

 また、

 不正を修正し、個人の権利を支持しようという

 我国の決心を十分に伝えることもできません。

 私たちは、過去の過ちを

 完全に正すことはできません。

しかし、私たちは

はっきりと正義の立場にたった上で

第二次大戦中に

重大な不正義が日系米人に行われたことを

認めることはできます。」

「損害賠償と心からの謝罪を申し出る法律の制定で

 米国人は言葉の真の意味で、

 自由と平等、正義という

 理想に対する伝統的な責任を新たにしました。

 皆様とご家族の将来に幸いあれ」



<そうでもない国家>

強制連行や従軍慰安婦という事実はない。

契約労働者と、民間業者の問題である。

個々の問題は過去の条約によって既に解決済みである。

また、不法行為があったとしても、

請求権は時効により消滅している。



「昭和財政史―終戦から講和まで」

 第一巻 大蔵省財政史室編

日本が賠償交渉で粘り強く相等の時間をかけて

自分の立場を主張し続けてきたことも

結果的には賠償の実質的負担を大きく軽減させた。

賠償の締結時期が遅くなった結果、

高度経済成長期に入った日本は

大局的にみてさほど苦労せず賠償を支払うことができたのである。

加えて、時期の遅れは復興した日本が

東南アジアに経済的に再進出する際の

絶好の足がかりとして賠償支払いや無償経済援助協力を利用する

という効果をもたらした。

アジア外交担当の外務官僚 須之部量三

(外交フォーラム19922月号)

「日本経済復興以前のことで

 どうしても日本の負担を値切ることに重点がかかっていた」

「法的には確かに済んだけれども、

 何か釈然としない不満が残ってしまう」

吉田茂

「むこうが投資という言葉を嫌がったので

 ご希望によって賠償という言葉を使ったが、

 こちらからいえば投資なのだ」

「日本の賠償」 外務省賠償部監修

輸出可能なプラント類や

従来輸出されてこなかった資材を

賠償で供与して“なじみ”をつくり、

将来の輸出の基礎を築くことが将来我国にとって望ましい

自民党政策月報 19565月号

「賠償は日本経済発展の特権である」