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大戦末期、フィリピンで生体解剖実験の証言

戦時中の日本軍の生体解剖は
満州の731部隊や、九州大学での捕虜の事件が知られているが
フィリピンで行ったという証言は初めて。


なぜ今更、と反対する戦友もいたが
61年間家族にも言えず、夢にまで出て苦しみ続けた結果
「埋もれさせては亡くなった人が浮かばれない」
と公開を決意。


海軍の第三三警備隊の医務隊に所属するMさんは
1944年ミンダナオ島サンポアンガ航空基地に配属。


生体解剖が始まったのは12月。
場所は病院にしていた学校。

「捕虜を連れて来い」

上官の軍医に命じられて米軍スパイとして拘束された
現地住民2人を連れて行くと
「これから解剖する」と告げられた。

怯えきった2人に服を脱がせ、手術台に手足を縛りつけた。
顔に布をかけ、エーテルをかがせると、数分で意識を喪失。

「俺が死んだらお前が治療せねばならぬ」

軍医にそういわれて、震える手で腹にメスを入れた。

「これが肝臓だ」

軍医に示されたが、頭に入らなかった。

「命令とはいえ、罪の無い者に何とむごいことをしているのか」

心で詫びた。

手足切断、血管縫合、開腹手術・・・・・・。
生体解剖は45年まで続き、女性や子供を含む30人が犠牲になった。

「おい、やるぞ」

軍医の一言で、蘇生しないよう、最後にロープで首を絞めた。
遺体は部下が運び出して埋め、解剖は医務隊だけの秘密にされた。


45年3月
米軍がミンダナオ島上陸。
日本軍はジャングルを敗走する。

Mさんは
「二度と繰り返してはならない。
 機会があれば償いの証言を続ける。」
と話している。