JR下関駅通り魔事件:死刑判決 | ★ゴルァⅣ★

JR下関駅通り魔事件:死刑判決

 「やっと無念を晴らしたよ」――。死傷者15人を出したJR下関駅通り魔事件で、最高裁は再び上部康明被告(44)に極刑を言い渡した。遺族らは判決に安堵(あんど)する一方、3回の精神鑑定を挟んだ審理の長期化などに疑問の声も。せい惨な現場となったJR下関駅には今も人々に生々しい記憶が残る。【新里啓一、尾垣和幸】
 「本件上告を棄却する」。静寂な法廷に裁判官の声が淡々と響いた。事件で妻瑞代さん(当時58歳)を失った松尾明久さん(67)は傍聴席の最前列で遺影を胸に抱き、心の中でつぶやいた。「やっと終わったよ」。9年に及ぶ闘いが終わった瞬間だった。
 この日は遺族ら7人が傍聴。閉廷後、「被害者の会」代表世話人の永藤登さん(77)と松尾さんが会見。松尾さんは9年を振り返り、「当初は『ただいま』と今にも妻が帰ってくるようで、精神的にも落ち着かなかった。それでも『自分にできることがあったら』と前向きに闘ってきた。今日はその願いがやっとかなった」と語った。
 また「幾度と精神鑑定に費やした時間がつらかった。被害者のことを考えない現在の刑法を変えるために今後も微力でも声を上げていきたい」とも。
 被告と両親、JR西日本に損害賠償を求めた民事訴訟は、支払い能力のない被告のみに賠償を命じる事実上の敗訴に終わっている。永藤さんも「(判決は)望んでいた結果で、一つの区切り」としながらも、「今後もJRの安全管理や被害者の権利向上に向けて法改正を訴えていきたい」と決意を新たにしている。
 事件現場となったJR下関駅。上部被告がレンタカーで利用客を次々とはねた駅舎内の売店で働いていた女性(48)は「辺りは血まみれで人々の悲鳴がすごかった。今でも被告の名前を聞くだけで当時を思い出してしまう」という。判決については「今まで悲痛な面持ちで献花に来る人を何人も見てきた。その方たちの思いを考えると妥当ではないか」。
 被告が包丁で3人を刺したホームには、遺族が毎年命日に献花に訪れる。ここで亡くなった衛藤和行さん(当時79歳)の次女は傍聴後、「無念はこれで晴らせるが、被害者は一生癒やされることはない。今後も毎年、花束をささげ祈りたい」と話した。
 「下関駅物語」などの著書がある元下関駅員の斉藤哲雄さん(79)は「愛着のある駅で悲惨な事件が起き、今でも胸が苦しい。どんな刑が処せられても、遺族はたまらないだろう」と被害者の心境を思いやった。
 JR西日本は最高裁判決に「遺族の方やその他関係者のことを考えると、コメントする立場ではない。今でも防ぎようのない事故だったと認識している」とコメントした。


◇復讐心転化と親との確執 秋葉原事件と類似

 事件の背景や社会に投げ掛けた課題について、作田明・聖学院大客員教授(犯罪心理学)に聞いた。

 上部被告は仕事や人間関係での挫折から不満を募らせ無差別殺人に向かった。事件の手口だけでなく、置かれていた状況も秋葉原17人殺傷事件の加藤智大容疑者とほぼ共通している。人間関係が苦手で、周囲から評価されないとの思いが復讐(ふくしゅう)心に転化している点も同様で、親との確執も共通要素だ。

 家庭に恵まれ学校の成績も良かった過去の栄光と、現状との落差が事件の根底にある。大きなことができると顕示し、注目を集めたいという思いが犯罪に向かわせている。

 2人とも周囲に相談する人がおらず、家族も心理的に遠い存在で、人間関係が歯止めにならなかった。現在は、核家族化や地域社会の崩壊で「孤立」した人間が増え、会社の社会福祉的機能も失われている。こうした環境が背景の可能性があり、社会全体で考えていくべき問題だ。

 秋葉原事件の後、同様の犯行予告が相次いだ。下関事件のころは異常と見られていたものが、今回は親近感に近いものを感じる若い人たちがいる。非正規雇用の増加など社会の不安定さが、現状への不満につながっているのではないか。