高校時代、センター受験の選択科目で倫理を選び、勉強していたときにしばしば目にした単語『哲学』。

この時はまだよく分からず、そのままにしていましたがその数年後、今から8年程前に出会った本が『思考の用語辞典』

著者中山元より。
(本文一部抜粋、以下『』内は同様)

『ぼくは思う。哲学のいとなみは、ふるい概念たちのために、あたらしい舞台をつくりだしてやることかもしれないと。』

立ち読みしていてこの文を読んだとき、なるほどなぁ…と感動し、即買いでしたのを覚えています。

聞き慣れない言葉、意味不明な文で語っていくのが哲学なのではなく…いや、むしろこの状態こそが哲学の迷い込んでしまった状態で。

本来、もつれた糸をほどいてやる様に…あるいは、パズルのピースをキッチリ適切な箇所に当てはめていく作業で…適材適所そのものをトコトン追究していくことなんだろうと。当時放送関係の専門学校でクリエイティブ学科に身を置いていたこともあってか、キャスト配置・原稿や台本等の推敲に応用出来る!と、妙に納得したものです…現在は全く関係無い仕事してますが、何か(笑)


また『哲学は「自己について知る」行為と切りはなせない。』ともいっている。

さらに『自己は単独で成立するものじゃなく、他者の力で生まれ、他者によって育てられるもの』と位置付ける。

孫子の兵法で最も有名な
【彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず】と通ずるものがあります。
一面的な見方では無く、全面的に見ていき判断しようという点です。少なくとも自分との共通点、異なる点くらいは把握したいなと。
(まぁ、自分が優っている点、劣っている点というのも無駄では無いですがね)


この現代…意図的なのか余裕が無いのか、様々なものが切り捨てられている。

一見スマートそうに見えるやり方だが、実は精神的な怯え…恐怖・不安の表れではないかと私は思う…いや、断言する。

従来の古いモノ・使い慣れたモノの活用を再考してみても良い頃合いだと思うのだが…あまり行き過ぎたモノは衰退の一途を辿るのは、既に繰り返された歴史が多数証明している。
(但し、リサイクルだのエコロジーの類いを言っているのでは無い、あしからず)


最後に、夜明け前の画像と共にこれで締める。

『さあみんな起きて、出番だよ。』