おととい | はっぶろぐ

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千葉のとある母ちゃんの日常。
だいじな子たちのだいじな記録。


いつもリアルタイムで更新できてない。。。それって「ブログ」じゃないよな。


自分の中でとどめておこうと思って書かないつもりだったけど


何一つ忘れたくないなと思ったので書いておこうと思ったの。



おととい、3月11日。


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ずーっとダラダラダラダラ手縫いで作っていたクッションカバーを完成させようと決心して


午前中からチクチクチクするも、テレビから目が離せず全然進まんかった。結局未完成。


一日中グズグズ泣いとった気がする。ボク色んな意味でグズグズだったよ、この日。



地震のことを冷静に見て聞いて想って、


本当に信じられないくらい多くの人たちが亡くなってしまったこと、


その何倍も何十倍もの人たちが大切な人を失ってしまった悲しみで苦しんでいたことを


去年よりもすごい実感した。改めて、さらにさらに感じさせられた。


たぶん去年は自分も被害にあってアタフタしとったから、色んな感情が渦になって気持ちがグワングワンしてたけど


今年はきちんと冷静に地震のことを知れた。その分、感動も大きかったし悲しみも大きかったです。



・気象庁が初め、地震のマグニチュードは6.9、津波は3~6mと発したために、

5mの防波堤を信じて避難しなかった多くの人が、その後20m近くの津波にのまれてしまったこと


・食料、水が尽きそうな避難集落の方々が、”一か八かとにかく援助を”と広場に書いたヘリポートのマークに

アポ無しで空を飛んでいたアメリカの物資輸送のヘリが次々と降りてきて命をつないでくれたこと


・瓦礫の中から母親の乗っていた車を発見し、その中で息絶えていた母親を見つめながら男の子が

「他の行方不明の人たちも早く見つかるといいね」と言っていたこと


・我々沿岸の住人は地震が来たらとにかく逃げれ、何も持たないでとにかく逃げれと

祖父から教わってきたというご老人が、先人の教えを絶対に忘れてはいけないと言っていたこと


・テレビのドキュメンタリーで地震・津波のことを冷静に語っていた人のほとんどがご家族を亡くしていたこと



自分はあの日、会社にいて地震が起きて棚がバッタンバッタン倒れてみんなで必死に外に逃げて


まだ寒い3月の外で皆無事でよかったでも寒いねって言いあいながら次の指示を待っていたときに、


東北では大津波が何回も押し寄せて冷たい海水で溺れて亡くなっていった人がたくさんいたこと。



電車が全く動かず何時間も歩いて夜中に船橋のアパートに帰って、ぐちゃぐちゃな部屋を簡単に片づけて


とりあえず寝ようとこたつに入ってウトウトしたら何回も余震で起こされて、その度に倒れそうなテレビ押さえて


怖くて彼に会いたいけど電車動いてないから会えなくて、一人で眠れない夜を過ごしていたときに、


東北では、津波からは逃れたけど濡れた身体のまま建物の屋上や車のボンネットの上で


寒さで凍えて亡くなっていった人がたくさんいたこと。


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おとといの14:46はテレビで放送されていた慰霊祭に合わせて黙とうしたけど


これ来年も再来年も同じ日時にみんなで黙とうできるんだろうか。。


地震の日からずーーーっと流れていたACのCM、特にこだまでしょうかとポポポポーンは音声聞くだけで


あの時の空気とか気持ちとか思い出します。


息子が生まれて大きくなったら、話して考えさせて、ほんでいつか家族で東北にお参りに行かな。


”忘れないこと、語り継いでいくことが生きる人のできること”って本当にそうだよな。


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