失恋がらみの相談をよく受けますが、その多くは復縁を望むものです。あるいは、恋心を抱く相手とどうすれば付き合うことができるかという相談も多いですね。
いずれの場合であれ、相手との関係が恋人なのかそうでないのかということが悩みの焦点となっています。
そういった相談を受けていて、最近の傾向として気づいたことがありました。
多くの相談者が相手との関係を「恋人」と「否恋人」というようなステータスの違いにこだわっており、その境界線はお互いに恋人であると認め合っているかどうかによって決められるということです。
三年ほど前にも「友達と恋人の境界線(アポロ漫録)」という記事を書いたことがありますが、それとは少し趣旨の違う話となります。
お互いに認め合ってこそ恋人だという考え方は最近に限ったことではなく昔からあることだと思う人もいるかもしれませんが、最近の特異な傾向として気づいたのは、それが恋愛感情の結果としての「承認」ではなく、恋人というステータスを得ることが目的の「契約」となってしまっていることです。
まず契約ありきで、付き合いを重ねる努力を避けて、愛情という利益だけを手っ取り早く得ようとしてしまっているようです。そのため、出会ってすぐに恋人として付き合っているという人も多いようです。
「恋人なんだから愛してくれるのは当然(義務)」という考え方です。そういう考え方をする人はたいてい、自分にも相手を愛する義務があるとは考えません。自分にとって都合のいいことしか考えないのです。なぜなら、相手は単なる契約上の存在であって、相手に対する愛情は無に近い状態からスタートしているからです。
恋人契約をしたのだから相手から毎日頻繁に連絡が来るのは当然だと思っていたのに、相手は期待していたほど連絡をくれないので不満を募らせることになります。やがてそれが理由で毎日のように喧嘩ばかりするようになり、最後には別れ話となって「契約終了」の日を迎えることになります。
契約に過ぎない恋人なんて、別れること前提に付き合っているのと同じです。
恋人として楽しい思い出をたくさん作れるはずだと夢を膨らませていたのに、残ったのは喧嘩していた記憶ばかり……そんなの当然です。愛情を前提に付き合っていたわけではないのですから。
とにかく手っ取り早く結果や利益を得られることを優先した考え方で人間関係や恋愛関係を築こうとしてしまうことが最近の傾向なのだと思います。
何をするにしても時間をかけたくないのでしょう。ボタンを一つ押すだけでなんでも欲しい物が即座に手に入ることが当たり前の価値観となってしまった時代なのです。インターネットや携帯電話・スマートフォンなどの普及がそのような価値観を加速させているのだと思います。画面をタッチしてひょいとなぞるだけ。もはやボタンを押す筋力(実感)すら必要ありません。
人間関係は本来相手と対等な立場であるはずなのに、自分以外の存在はすべて自分の思い通りに利用できる便利な道具か何かと勘違いしてしまっています。人間関係ですら、今や手のひらに収まる携帯端末の画面の中の存在(アプリやキャラクター?)という認識です。相手が自分の思い通りに動いてくれないことが理解できないのです。
アプリや二次元のキャラクターは何でも自分の言うことを聞いてくれるでしょう。でも、人間は違うのです。
恋人なのかそうでないのかというようなステータス(状態)なんてどうでもいいのです。
大切なのは、相手のことを愛しているという気持ちと、付き合っているという事実です。
相手を愛する素直な気持ちで付き合いを重ねて行くことで、自然とお互いに「恋人」として認め合うことができるようになるのです。
恋人となることが目的であってはならないと思います。ただし、異性を求める欲望を抑え込まなければならないということではありません。利己的であってはならないということです。
異性を求める欲望こそが恋の本質であり、それを抑え込んでしまったら人間は滅んでしまうでしょう。
求める相手に人として真剣に向き合い、対等な立場でぶつかってゆく。その結果生まれるのが、愛 なのではないでしょうか。
